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『躁鬱大学』坂口恭平著 九龍ジョーさんの仕事②

先日のポパイの記事に続き、九龍さんの最近のお仕事について。
坂口恭平さんの『躁鬱大学』(新潮社)です。坂口恭平さんとはどんな人かというと、一言では説明できなくて、もはや「坂口恭平とは坂口恭平だ」としか言いようがないような、そんな人です。
あらためて、著者略歴を引用します。

1997年熊本県生まれ。2001年早稲田大学理工学部卒業。作家、建築家、絵描き、音楽家、「いのっちの電話」相談員など多彩な顔を持ち、いずれの活動も国内外で高く評価される。

九龍さんと坂口さんは「盟友」と言われる関係です。10年以上にわたり、坂口さんの著書の編集・構成に九龍さんが関わっているそうです。九龍さんは坂口さんの創作活動を「生き延びるための技術」と称しています。(『メモリースティック』(DU BOOKS p.145) 

本書はタイトルのとおり「躁鬱」をテーマにしています。
さて、突然ですが、以下に列挙する項目にあなたが当てはまるかどうかをチェックしてみてください。

□不正を見つけると、つい怒ってしまう
□大きな声では言えないが、人から褒められるために行動している節がある
□誰かと敵対関係になることに耐えられない
□評価の基準が自分ではなく、他人である
□自分のことを自己中心的だと思う
□盛り上がっている飲み会で居心地が悪いと感じたことがある
□「ちゃんと」「きちんと」という言葉がどうにも窮屈に感じる
□一つのことに打ち込むことが苦手だ
□文章を書くことや、音楽を演奏すること、ものづくりをすることなど、なにかしらの創作活動に携わっていたい

「何個以上当てはまったアナタ!躁鬱病の傾向があります」…というものではありません。
1つでも当てはまった人は、(躁鬱であるかどうかは一旦置いといて)ぜひこの本を読んでみてください!

本書では、坂口さんが大学の先生となり講義形式で躁鬱人としての心得のようなことが語られます。
「とにかく人は変えようとしない」、「変えるのは自分だけ」と坂口さんは書いていて、そのための具体的な方法がいくつか提示されるのですが、詳しい内容については読んでもらうとして、ここでは私がとても印象的だったものを一つ簡単に紹介します。

それが、
「自己否定文にはすべてカギカッコをつける」。
うまく再現できるかわかりませんが、試しにやってみますね。

以下の文章をもとにして、実践します。
(実際にわたしが日記に書いていた文章をもとにしています)

自分の仕事に対して、周囲が批判的であるように思われてしまう。
ちょっとした一言にモヤモヤするのは、自尊心が高すぎるからだ。
仕事がうまくいっていなかったときのことが思い返されて、自分はどうしてうまくできないのかと自己嫌悪に陥る。

今、読み返してみても当時のどす黒い感情が想起されて、
手の先、足の先に嫌な汗が滲むのを感じます。
さて、まずはこの文章を一文ずつにしてカギカッコをつけてみます。

「自分の仕事に対して、周囲が批判的であるように思われてしまう」
「ちょっとした一言にモヤモヤするのは、自尊心が高すぎるからだ」
「仕事がうまくいっていなかったときのことが思い返されて、自分はどうしてうまくできないのかと自己嫌悪に陥る」

おや…なんだかこれだけでずいぶん自分を客観視することができるような気になります。
次はこの言葉を自分ではない誰かが言った台詞にしてみます。
ここでは坂口さんにならって、おさるのジョージとします。

おさるのジョージは言った。
「自分の仕事に対して、周囲が批判的であるように思われてしまう」
片山誠也はその言葉を聞いて驚いた。ジョージの日頃の態度を見ているからだ。
彼はいつも真摯に自分の仕事をこなしていて、周囲からも一目置かれている。
ジョージは続ける。
「ちょっとした一言にモヤモヤするのは、自尊心が高すぎるからだ」。
片山はそんなジョージのとなりに腰掛けてこう言った。
「君は最高の仕事をしている。だからこそ、その仕事にプライドをもつのは当たり前のことだよ」。
しかし、ジョージにその声は届いていないようだった。
「仕事がうまくいっていなかったときのことが思い返されて、自分がどうしてうまくできないのかと自己嫌悪に陥る」。
「もういちど繰り返すよ、君は最高だ。ジョージ。そして、君はそもそも猿だ。そんなに頑張って働かなくてもいいんだ」
片山はジョージの目をまっすぐに見つめて答えた。

どうでしょうか。文章の出来はともかくとして、さっきまでの救いようのない自己否定文が、やたらストイックな猿と、それをはげます人間という珍妙な掛け合いに変わりました。

書いていて思ったのが、これが当事者研究の技法のひとつである「外在化」と通じるところがあるということです。
少し長いですが、当事者研究の第一人者である熊谷晋一郎さんの文章を引用します。

困った行動をとったあの人が悪い」というかたちで、いわば問題行動と本人をくっつけてしまうのではなく、問題と本人を切り離して、行動を降雨のような出来事として眺め、研究のテーブルに載せていき、みんなでワイワイガヤガヤとそのメカニズムを探っていく、これが当事者研究の大事な方法として採用されました。
         『責任と生成』國分功一郎 熊谷晋一郎 p.40

本書は躁鬱人である坂口さんが自身の経験を研究対象として、その研究成果を発表しているものだと考えると、当事者研究そのものじゃないかと今さらながら思い至ったのでした。講義でもあり、研究でもある、そう思うと「躁鬱大学」というタイトルはぴったりです。

また、坂口さんは昨年出版された『自分の薬をつくる』(晶文社)のなかで、たくさんの人の悩みや苦しみを、名医顔負けの手際のよさで診察していきます。坂口さんは「薬=習慣」として、何かを習慣として行うことを提案する(=処方する)のですが、そこで行われているのは、ネガティブな感情を「解釈」して転換していくことです。

ここにきて、企画メシとのつながりも見えてきます。

今回は九龍さんの「伴走者」としての一面を紹介しました。そして、明日7月10日には蔦屋書店で坂口さんのトークイベントがあります。木村綾子さんも企画に携わっているそうですよ。

どんな話が飛び出すか、とても楽しみです。

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次回は九龍さんが編集長を務める『Didion』とエランド・プレスについて、紹介したいと思います。

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