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『長い一日』を読む長い一月 〜26日目〜

滝口悠生さんの連載小説『長い一日』(講談社刊)を一日一章ずつ読み、考えたことや想起されたこと、心が動いたことを書いていく試みです。

またまた登場、窓目くん。第26回は「護国寺で」。護国寺の境内で窓目くんが過ごした不思議な時間が描かれます。伯備線に乗ったりもしてるし、今さら不思議な時間もなにもないような気がしますが…

あらすじ
窓目くんは護国寺の本堂から外に出る。時間をたしかめると午後一時過ぎで、家を出てから三時間しか経っていないことが窓目くんは信じられない。
空腹に気づいた窓目くんが思い浮かべたのはファミリーマート。おにぎりならツナマヨ、サンドウィッチならハムサンドを食べたい窓目くん。
通りにでる階段の途中で、2匹の猫がいることに気づく。その奥にある大師堂に足を向けた窓目くんは階段に腰かける。日差しと温かみによって耐え難い空腹が快楽に変わるのを感じる窓目くん
窓目くんのスマートフォンには誰が撮ったのかわからない、窓目くんと白黒猫が賽銭箱を挟んで座っている写真が残っている。画像のなかの窓目くんは写真に撮られるときの顔をしている。
なぜか交番を避けるように歩き出した窓目くんはファミリーマートから遠ざかってしまう。講談社の前に差し掛かると、見知った女性がガラス戸を叩いてい、それは滝口の妻(=私)だった。
ふたりは一緒にご飯を食べに行くことにする。

ねじれた時間
窓目くんの長い一日はまだまだ続いていました。わたしがこの小説を読み始めてからおよそひと月経ったわけですが、こうして時間をかけて読むことによって、窓目くんの一日が長く長く伸びていることがより実感できているような気がしています。
窓目くんの一日が、夫婦の引っ越しに向けた時間と並行して語られていることも面白い点だと思います。窓目くんの一日と夫婦の8ヶ月間がパラレルに進んでいくことで、窓目くんの一日が引き伸ばされていることがわかる、と思いながら読んでいたのですが、終盤いきなり「私」(=妻)が登場したことで、時間がねじれたような感じを受けました。窓目くんの視点からすれば「滝口の妻」として描かれるはずですが、「私」と描かれることで妻の視点ということが明確にされています。そのねじれ。
ねじれ、ということで言えば、あるはずのない写真のことがこの回では書かれています。その写真は、なにかを象徴しているかもしれないと考えてみたのですが、腑に落ちるようなことはなにも浮かびませんでした。
考えてもわからないことは、そのままわからないままにしておくのが、わたしの方針です。いつかどっかでつながってくるかもしれないし、こないかもしれない。そんなことを考える今日この頃です。

こうして読み進めるのもあと7回。一週間ほどになりました。一緒に読んでいただいている方(がいれば)、本当に有り難く思っております。もう少しお付き合いいただければ幸いです。

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