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「人から褒められるというのは見下されているということだ」

 ふと、夜ご飯を作っていると、高校のときの教師に言われたこんな言葉を思い出した。いま考えると恐ろしいほど卑屈なフレーズだが、その当時の自分は本気でそれを受け止めていたと思う。

 自分の覚えている限りでは、その教師の言い分は「他人から褒められるということは、相手から評価される立場にいるということだ。人を評価するということには上下関係がある。だから人から褒められるというのは見下されているという恥だ」というものだった。

 個人的な経験から言うと、自尊心の低い集団にいると、恐ろしい勢いで自分自身の自尊心も下がっていく。また、その集団を率いる人間が自尊心の低い人間であれば、自尊心の低さが所属する人間に伝搬していく。友達、クラス、家族、会社、どんな形態の集団であれ同じだ。

 というわけで、大学に入ってからしばらくしても自分は他人から褒められるということを素直に受け入れることができなかったし、他人を褒めるということもできなかった。それどころか、他人から褒められることを攻撃だと感じてしまうようなことさえあった。ここまでくるともはや「呪い」の類だ。

 だが、今振り返ってみると、自分に呪いの言葉をかけたあの教師もまた、自分自身の自尊心の低さに首を締められていたんだろうなと思うようになった。他人からの評価を攻撃だとしか考えることができないくらいに脆くなった自分の自尊心を守るために、精一杯生きていたのではないかと思う。「自分はこうでなければいけない」という完璧主義と、他人からの評価の差に苦しみながら殻を閉ざしながら生きていたのかもしれない。

 しかし、こういった人種の人間はそれこそ瘴気のようなもので、あっという間に自分自身の考えかたを蝕んでくる。親や学校のような、現行の社会制度上逃れることの難しい一本道にこうした人間が現れると、知らずのうちに身体を蝕まれていく。ある種、自然災害のようなものだと思う。

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