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合唱好きをこじらせて芸大まで行っちゃった話#2 音楽再開の高校時代

【写真】高校の研修旅行で行ったオーストラリア

初回いきなりバッドエンドでしたが、今回は高校で音楽を再開する回です。
かつてあんなに歌嫌いだった少年が。

1.生まれと音楽の始まり
2.音楽中断期
3.音楽再開◀︎ココカラ
4.信大時代
5.別科時代
6.受験勉強
7.受験、合格へ

3.音楽再開

入学早々学校が嫌になってしまい、教室が苦痛な時期を過ごしていましたが、唯一心安らげる場所が司書室でした。
司書の先生はとても優しい人で、授業に行きたくなかった僕をそのまま居座らせてくれたり、図書室で自習したりするのを許してくれる人でした。
時には放課後に紅茶を入れてくれたり、お土産と言ってパンをくれたり、なんとなく行き場のなかった僕を受け入れてくれた先生には今でも感謝しています。
 …誰ですか放課後ティータイムとか言ったのは。

春からしばらくそんな生活を過ごし(授業は次第にちゃんと出始めました。寝てることが多かったけど。)、美味しいリンゴが出回り始めた秋のある日、春先に教室で槍玉に挙げられていたRが僕に話しかけてきました。
「合唱部でピアノを弾いてくれる人を探している。」
久しぶりにピアノを弾く機会を得られたことに喜び、すぐに向かう約束をしました。

音楽室での出会い

後日部活の時間が訪れ、足早に音楽室に向かいましたが、そこにはわずか7人の部員。(SATB=3211)
コンクールが終わったあと、つまり3年生が引退したあとの時期だったためです。

こんな人数でも歌えるのかしらと思った僕でしたが、その中に一際存在感を放つ声がありました。
ソプラノとバリトンに1人ずつ、音大の声楽科を目指して勉強をしている人たちがいたのです。
(バリトンのI先輩は翌年東京芸大に、ソプラノのT先輩は国立音大に進学しました。)

僕はこの時初めて声という楽器に出会い、まさに頭をぶん殴られるような経験をしました。
声が空気を揺らして体に直に伝わってくること、それが重なることでピアノやその他の楽器とは全く異なる響きが生まれること、自分の声がその一部になっていくこと…
そんな声の魅力を知った僕は気付けば積極的に歌う側にまわっていて、3年生の頃には指揮を振るなどするようになっていました。
歌嫌いはどこへやらです。

魅力的な曲との出会いもありました。
やたらと自然讃歌したり、大人の理想の子ども像を押し付けてくるような曲しか知らなかった僕にとって、当時ブレイクし始めていた信長さんの「新しい歌」は、まさに新しさをもって僕の目の前に現れました。
頻繁に現れる7や9の和音、その平行、80年代のポップシーンを想起させる楽しさと切なさを同時に孕んだ旋律はとても刺激的でしたし、教科書やテレビでは出会ったことのない言葉との出会いも新鮮でした。
ニコニコ動画で合唱の録音や動画を漁り、海外の作品を知り、人数の都合からできない曲があればピアノでさらいながら音色を想像し、いつかやろういつかやろうと考えるようになりました。

次回予告

でもどこで…?
大学の進路はこの悩みを中心に決定していくことになります。

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