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外飼いの形相

電池を買い忘れたから、またうっとうしいマスクをつけてスーパーへ戻った。
単三4本税込712円

かかとまできっちり靴を履いたものだから、このまま帰るのはもったいない気がして、マンションを通り過ぎる。

気持ちのいい晴れた空、11月らしさがある。見上げてみると思ったよりも青い。あまりにも深いものだから、少し劣等感を覚えてしまうほど。めいいっぱいに空をつとめている。

その青に電線が走っている。札幌の街は道がまっすぐで、ぴんと張った電線が奥の奥まで続いている。電線の上にはカラスがとまっていて、首をゆらしながら大きな声で鳴く。強まってきた風で、街路樹にまきついたツタの枯葉が飛ばされていった。

素直に良い街だなと思えた。限りなく理想に近い現実が広がっているけど、そこにはたしかな厳しさがある。逆にコンクリートの灰色だけでは“淀んでいる”印象だけど、青が入ると“凛としている”印象になる。


引っ越して来た当初、散策してみるたびに面白みのない街だなと思っていた。計画都市ゆえなのかは知らないが、直交する道は偶然を演出してくれない。位置関係があまりにもあけすけで、「こことここが繋がるんだ」みたいな喜びがない。

加えて猫がいない。それに気付いた時、引っ越してきてから感じていた寂しさの一部に説明がついた。

今まで私が暮らしてきた街では、暖かい光が落ちる階段に出くわすと、そこには「なんだ新入りか?」といった様子のあくびをしている猫がいるのが日常だった。

ほとんどの道が車も利用するものであることと冬の寒さが猫がいない理由なのだろう。札幌市も室内飼育を推奨している。

部屋の中で過ごす猫。猫や犬をペットとして飼う、そこにちょっとした違和感を覚えるようになってしまった。なんだか窮屈そうだなと思ってしまう。

人に都合のいい生物。獲物を狩っていた牙も、地を駆けていた四肢もその能力を発揮することは少ない。いまや撫でられることが使命みたいになっている。

と思いつつも、植物園で品種改良を重ねに重ねた花たちを見て心を動かされるのが私だ。
こころなしかダブルスタンダードのような。

だけど植物は、たとえ温室の中で育てられていようと、生の目的をその体に表し出しているような気もする。

動物園は苦手だけど水族館が好きなのは、こんな視点が無意識にあるからだろうか。

檻に入っている一頭のカバ。きっとカバも窮屈だろう、スペースがというより自己実現として。



めいいっぱいに空をつとめている。


荷物はポケットの電池だけ。いつのまにか3時間も歩いていた。足が痛い

どこまでいっても、どうしようもなく電線が似合う街が続いていた。

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