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私が言葉を発信する理由/将来息子が父を知るため・世界との“よすが”のため

ようこそ、はじめまして。

私が文章を書くのは、まず本当にベースとして「自分のため」。

自分たちの中にあることを言葉にすることを通して、着想の小さいけど輝く火種から現実化のための炎を熾していくため。

自分の手元のノートに書いておけばいいことだけど、それでは情報が生きていかない。

少なくとも家族や親しい友人は観てくれるであろう発信の形にしておくことで、これまでになかったつながりやエネルギーの循環が生まれていくことを思い描いています。


当面の発信の基準は、自分の息子が将来、父親がどんな事を考えていたんだろう?ということを知ろうとしたときに、知って、彼の役に立つことか、ということ。

あるいは、自分が死んだあと、自分がどんな事を考えていた人なんだろう?と興味を持ってくれた人が読んで、ああ、そうだったんだ。と、知ることができてよかったと思ってもらえそうなこと。

つまり、自分の中でひらめいたこと、自分の中で感じていること、淡い希望、胸をときめかせる構想、などなど、軒並みどんなことであれ、きっとそれには適うと思う。

だから、当面の発信の基準は、とてもとても低い。


ゆくゆく、自分の文章力が更に高まり、自分の中にあるものをそのまま表現しながら、万の人にも読みたいと思ってもらえるようになることがあるかもしれないが、

それを狙ったものではなく、日々自分の中に稲妻のように閃くアイデアや構想の種や感じたことを自分のために言葉にしていくことを普段からしようと思っていて、

それを文章にするのであれば、自分だけが読むことができる範囲に留めておくのでなく、世界に触れることができる場所に置いておこうと思う。


言葉は、情報は、それが流通できるところにあれば、自分で命を持つように、人の中に入ってその人の中でまた違った形になって、また他の人に流れていくような、そんな動きをしていくことができるものだと思う。

だから、自分が言葉にしたことを、自分だけが読める、流通する可能性が少ないところに置いておくことは、自分が言葉にしたことの命をとても制限することになるようにも思って、こうして世界に触れられるところに置きたい。


「自分の中にあるものは、言葉にしてみて、初めて、自分にとってもどんなものか知ることができる」。これは“ナラティブ・アプローチ”の学びの中の言葉で、とても気に入っている。

自分が次に発した言葉が、自分を変え、誰かを変え、世界を変えるかもしれない。

そんなとても根源的な肯定をくれる学び。


日々の中で自分に訪れる着想や、生きてきた中で自分の中に残っているものへの意味付け、家族で学び探求し実践している NVC/ファシリテート/ナラティブ・アプローチ/オーガニック/陰陽五行と暮らし/氣功/アクティブ・ホープ/マインドフルネス/組織開発・・・といった事柄の気付きなど、書き貯めていきたいと思っています。

なにかに共鳴してやりとりしたいと思ってくださったときには、どうぞご連絡ください。

それでは、また会いましょう。

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