妻と息子と、美味しいご飯にビールがあれば #ここで飲むしあわせ
「いつもありがとうね」
作ったつまみを運びながら、妻が言う。今夜のご飯は飲みメニュー。コロナ禍のせいで外出自粛を余儀なくされ、ビール好きなのになかなか飲みに行けない僕のために、妻はビールに合うつまみをよく作ってくれる。今夜は、冷奴、鶏肉のネギ塩焼き、簡単ピザ、などなど。どれもビールに合うが、鶏肉のネギ塩焼きは僕の大好物だった。油がネギと絡み、塩味と一緒に鶏肉に染み込んでいる。居酒屋にこれが置いてあったら迷わず頼むだろう。
妻の料理は美味しい。母の料理も美味かったが、妻の料理もなかなかだ。僕は料理の上手な母と妻に恵まれている。おかげでこんなに太った。結婚してからますます太る僕を「どんだけ幸せなんだ」と揶揄いながら、それでも妻は美味しいご飯を作り続けてくれる。
「あああ、うぅううーー!!!」
ビールを飲む僕の足に、生後約11ヶ月になる息子が掴まっていた。「こっちを見ろ、構え」とでも言いたげな顔。目が合うと、意味もなくにっこり笑ってくれる。つられて僕も笑顔になる。条件反射みたいなものだ。何が嬉しい、何が楽しいわけでもない。息子が笑っている、それだけで僕も笑顔になる。
「よーし、抱っこだ抱っこだ」
ビールの入ったグラスを置いて、息子を抱き抱えた。僕はこの子しか知らないので、この子が特別、こうなのかについては何も言えないが…とにかく甘えんぼだ。抱っこが大好き。してもらえないと、この世の終わりみたいな泣き方で悲しみを訴える。抱っこされると喜ぶ。単純だ。ぎゅっと抱きつきながら、キャッキャと無邪気に笑う顔が愛おしい。
「仕事で疲れてるのに。でも抱っこしてくれてるとすごく助かる」
育児休暇を取得している妻が、そんなことを言う。
「ご飯作ってると抱っこもできなくて」
別に育児を甘くみてきた訳ではないが、それでも実際に育児をしてみると、その大変さを改めて実感する。何しろ、子供の状況も日々変わるのだ。昨日までできなかった寝返りを急にしたり、さっきまでできなかったのに急につかまり立ちして見せたりする。目も離せないし、気も休まらない。そういう状況であっても、僕のご飯は、会社に持っていく弁当も含め、3食全部、ちゃんと作ってくれる。たまに飲みメニューにしてくれるし、息子の離乳食も美味しそうなものを作っている。
「仕事で疲れてるのに。いつもありがとうね」
他の夫婦がどうかは知らないが、僕たちはよくありがとうと言い合う。朝ごはんありがとう。仕事いつもありがとう。お弁当ありがとう。買い物ありがとう。息子のお風呂ありがとう。
「いやいや、こちらこそ。いつもご飯に家事に育児に、色々ありがとう」
そんなちょっとした「ありがとう」を積み重ねる。これが夫婦で生活するということなのかな、と思ったりもする。家族の中で唯一、血の繋がっていない家族は配偶者だけ。祖父母、父母、兄弟姉妹、子供、みんな自分と血縁関係があるが、配偶者だけは自分の意思で選んだ、いわば他人である。
「…俺は、しあわせな方なんだと思う…いつもありがとう」
だからこそ、照れたりせず、思ったことは伝えたほうがいい。子供の頃から長年一緒に暮らしてきた訳ではないのだ。ちょっとしたことですれ違ったりもするだろう。たまには、勢いで悪態ついたりもするかもしれない。けど、勘違いしないでほしい。僕は本気で、あなたと結婚できてよかったし、息子にこの子が生まれてきてよかった。僕の人生は今、最高にしあわせだ。
「君が作ってくれた美味しいご飯と、この子と」
心の底からの、本音だった。他には何も要らない。今の僕にとっては、それが世界の全てでさえある。
「ここで飲めれば、それでしあわせだ」
照れ隠しに、ビールを煽る。
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