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自分のnoteの続きをAIに書かせた結果

昨日、noteを書いた。

この記事を丸ごとChatGPTに読ませて、続きを書かせてみた。今回はその結果をお見せしたい。


考え返してみると、私が夕焼けや朝焼けの違いを知っていて、その背景にある科学的根拠を説明できたこと自体は、息子の疑問に対して「大人らしい」応え方だったかもしれない。しかし、果たして「知っている」からこそ与えられる答えが最良なのだろうか。もし知らなかったとしたら、私はどう反応しただろうか。「そうか、不思議だね。どうしてだろうね。」と、単に共感するだけでも、彼にとっては何かを感じ取るきっかけになったかもしれない。

子どもが面白い着眼点を示した時、親として「知識があるからこそ価値ある反応」ができるとも限らない。むしろ、知らないことに対して一緒に考え、一緒に知りたがる姿勢が、子どもの探求心を引き出す一助になりえる。夕焼けと朝焼けの科学的背景は私がたまたま知り得た情報に過ぎないが、それを知っているかどうか以上に、「子どもの気づき」に対して誠実に向き合う態度こそが、親子関係において重要なのだろう。

息子が「夕焼けの赤さ」と「朝の空の様子」を素朴ながら的確に捉えたことに感心すると同時に、ふと思う。もし私が空の色など気にせず生きてきたなら、息子の問いかけを受け流してしまったかもしれない。それを思うと、自分が気がつくことのなかった世界の見方を、子どもが提示してくれることの意味は計り知れない。子どもが問いかけをする度に、私たちは世界を再発見できる。そのプロセスで、知識の有無は確かに役に立つが、必ずしも要件ではない。重要なのは、驚きや感心を共有し、「分からないね」と言える素直さや、「一緒に考えよう」と言える謙虚さなのだ。

いつか息子がもっと大きくなり、より複雑な疑問を投げかけてきた時、私がその全てに答えられるとは思えない。それでも、分からないままにしておくのではなく、一緒に調べ、一緒に考え、試行錯誤する過程が、親子双方にとって豊かな学びの場となるだろう。そんな風に、息子との会話は、知識の「正しさ」よりも、共に世界を見つめ直す契機として意味を持つのだと、改めて感じる。


以上、おおむね私の思っていたことを、柔らかく、適切に、そのうえ示唆に富んだ文書で執筆してくれた。素晴らしい。

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さいすけ
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