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【歌詞解釈】「睡蓮花」を読む【湘南乃風】


【注意】
このnoteは、湘南乃風「睡蓮花」のネタバレを含みます。
未視聴の方はYoutubeに公式MVがあるのでそちらからご覧ください。

1.はじめに

「花びらが流した涙 貴方は笑えていますか」

これは2007年6月6日に発売された湘南乃風6枚目のシングルとして世に登場した曲「睡蓮花」の一節だ。

花びらが流した涙、これは、雨明けに花の上を滑るように流れ落ちる露を想像させる。

露といえば古典の世界では「はかないもの」の比喩として登場する。
草の上に現れては一瞬で消えていくからだ。
平安時代の歌人たちも、睡蓮花を耳にしては涙を流さざるを得ないだろう。

もうすごくいい歌じゃんこれ。ここ最近で口ずさみたくなるフレーズNo.1。
No.2は瑛人の香水。「別にき~みを求めてないけど♪」の歌。
「紅白に行ってきます」って内容のツイートにギターの写真貼ってたのに
紅白でギター使わなかった瑛人がブームになるのは
必然だったのかもしれない。

話を戻すと、えっと、あっそうだ
睡蓮花の歌詞は結構エモいってことが言いたかったんだった。

しかし筆者はいつものように睡蓮花をぼんやりと聞きながら、ふと思った。



睡蓮花には、まだ何かがあるのではないか?


というわけで、
本noteは
歌詞のテクスト分析を基にした、湘南乃風の「睡蓮花」の考察
を記したものである。

筆者的におすすめなのは、
YouTubeで睡蓮花を流しながら、続きの文字を目で追ってもらうことだ。

7分あるからこれ。終わるころにはもう読み切ってるんじゃないっすかね。

2.「貴方は笑えていますか」

序説でも説明したように、
「花びらが流した涙 貴方は笑えていますか」
という一節は、やっぱり心震える名文である。さすが睡蓮花。
トンネル抜けたら南国だったと言っても過言。

でもよくよく考えてみると
ここでいう「花びら」って何のことだろうか。

曲名が「睡蓮花」であることから考えると、
そのままスイレンの花びらと考えてもよいかもしれない。
てか普通はそう。

しかし、ちょっと見て欲しいものがある。

実は、「睡蓮花」MVの 0:47~0:58 部分に人型の影が登場する。

背中に帯の結び目が大きい着物を着ていること、
また髪型から女性である可能性が高い。

スクリーンショット (174)

突如、この女性の姿が消え始めたかと思えば、「睡蓮花」という大きな文字に変貌を遂げる

スクリーンショット (175)

これらのことから、
歌詞に登場する「睡蓮」「花びら」は冒頭に登場する女性を指している。

以降、この人型の影を「女性S」と呼称する。
(睡蓮のSね)

ひょっとしたら、パーマかけた男が女物の着物を身にまとっている可能性も捨てきれない。もしそうだとしたら、そこまでして何かを表現したい、MV製作陣と湘南乃風の思惑が隠されているのかもしれない。
が、今回は女性だとして話を進めることにする。

でも「両手に花」とか「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」のように、女性の美しさを表現するにあたって、花が登場しがちなことからも、この人物は女性と見てほぼ間違いはないだろう。

いや、「この人型の影は男だ!」と思ったあなたは
今すぐそのアイデアをnoteに書きなぐって形にして投稿してほしい。
50いいねは堅いだろう。

3.語り手と「睡蓮の女性」の関係性

さて、「花びら」がこの女性であるとして
「花びらが流した涙」から女性Sに何かしら悲しい事が起きたのではないか?と考えられる。それか埃アレルギーだったのかも。それはないか。

その後に続く「あなたは笑えていますか」は
語り手から女性Sに向けた言葉と考えられる。

したがって、語り手は女性Sの身に起きた悲劇の内容を知っている、
または、内容は知らないものの、何かしらの悲劇が女性Sに起きた事実を知っていることになる。

これらのことから、「笑えていますか」とか「ヤバくなれるのは誰?」とか「俺! 俺! 俺!俺!Ole!Ole!」とかを喉を枯らす勢いで叫んでる語り手は、女性Sと知り合いであることは間違いない。

いや、ひょっとしたらよく知りもしない初対面の女性に
「あなたは笑えていますか?」とか
「アガリまくる季節が来た」とか語り掛けていた可能性も捨てきれない。
アグレッシブすぎる気もするが、湘南乃風の面々ならできるはずだ。
私も混ぜて欲しい。いや、正確に言えばちゃっかりその中に混ざりたい。
湘南乃風の威を借りて、後ろから両手を挙げて騒ぎ立てるぐらいはできる。

4.睡蓮に抱かれる

ところで、涙を流しているのは女性Sだけではない。

突然降り出した雨 ベッドで涙浮かべ
小せぇ声で 「なんで俺だけ・・・」             (歌詞本文)

とあることから、どうやらこの語り手も悲しんでいるようだ。

「なんで俺だけ・・・」とあることから、語り手は周囲とのズレを感じているようだ。
ここでいう、周囲とのズレとは、この語り手が身近な人、または全くの他人でもいいが、とにかく他者と比較して自身に起きた悲劇の度合いがデカすぎることを指す。

「俺は生肉食べて食中毒なのに、なんで一緒に食べたあいつは平気なんだよ・・・」

「友達と横並びで歩いてたら、なぜか私だけ躓いてこけたわ。それも6回も!」

みたいなことを、語り手は嘆いているようだ。
正直、この部分の歌詞だけでは、この語り手が抱える悲しみの度合いは分からない。

自動販売機でコーラのボタンを押したのに、いろはす(280mL)が出てきたのかもしれないし、あまりにもアガリまくりすぎて、200万円の札束が入ったブリーフケースが波に流されてしまったのかもしれない。

しかし、歌詞の続きでこんなことを言っている。


待ち受けにしている写メ 変顔で思わず吹き出して
泣き言なんか言えるか「馬鹿やろうが!寂しくなんかねぇ!!」
さぁ 自分との闘い勝てば 大切な人に会えるはずさ   (歌詞本文)


大切な人=女性Sであるとすると、
語り手は女性Sと、物理的に距離が開いたことを嘆いている。
ひょっとしたら死別したかもしれない。
それではあまりにも悲しすぎるので、遠距離恋愛ということにしよう。

「花びらが流した涙」で説明した女性に起きた悲劇とは、
恋仲である語り手と離れ離れになってしまったことであると解釈できる。


頑張っていれば お天道様が 必ず微笑んでくれるさ 
もう一度君に包まれたくて 走り抜けて来たよ幾つもの季節を (歌詞本文)


お天道様、つまり太陽が出てきた。

スクリーンショット (201)

↑MV 3:50部分

ちょっとわかりずらいと思うが、これ、太陽に向かって叫んでいる。

若旦那さんの陽の当たり方からお分かりになるはずだ。

この部分で、若旦那さんは太陽に向かって
「頑張ってりゃお天道様が~」と喉を枯らす勢いで歌っているのだ。

ちなみにその後に、太陽がでかでかと登場するシーンがある。

スクリーンショット (203)

↑MV 3:54部分
(HAN-KUNさん迫真のワンシーン。強い熱を込めて歌っている若旦那、SHOCKEYE、REDRICEの勢いを一度押しとどめるように緩やかなスラーで歌い、最後にぶち上げるハイトーンでサビに持ってくる名場面。ここすき。)

睡蓮は朝に花が開き、夕方にはしぼんでしまうそうで、太陽のシンボルとしても知られている。太陽と結びつけて考えるのは自然である。

そして「もう一度君に包まれたくて 走り抜けて来たよ幾つもの季節を」を見てみよう。

君は女性Sでいいとして、「もう一度君に包まれたい」とは文字通りの意味でいいんじゃなかろうか。
それか、君(がくれる幸せ)に包まれたいのかも。どちらにせよお熱い。

「走り抜けたよ いくつもの季節を」は、今年の夏が来るまで語り手は女性Sと会えなかった。寂しい思いもしたが、それでもめげずに夏まで生き続けた、という意味だ。がんばった。

そして遂に終盤。

スクリーンショット (205)

↑MV 6:17部分

つまり、この歌は
「遠距離恋愛を強いられた2人がある夏に再会を果たし、大団円!」
というストーリー
だ。

王道だが、変にひねった物語よりこれぐらい素直なストーリーの方がまっすぐな歌詞に合っている。

という風に、かなり素直な解釈を載せてみた。

たしかに、この読み方もできる。

しかし、筆者はこうも読めると思った。

睡蓮花は「遠距離恋愛中に、女性Sが語り手を愛さなくなった」話であると。

5.睡蓮という花

いやいや、え?

ここまで王道ラブストーリーの展開をこれでもかと積み上げておいて、
女性Sの語り手に対する愛が冷めてしまった、なんてありえない。

そうお思いだろう。私もそう思う。

だが、少し妙な歌詞がある。


花びらが流した愛が 貴方に届いていますか?
若き小さなこの涙 笑い声になるまで・・・        (歌詞本文)


これはラスサビ前の歌詞である。

どこもおかしくないじゃん。いい歌詞やん、と思っていることだろう。

しかし、『「花びら」が流した愛が「貴方」に届いていますか?』

この部分、ちょっとおかしくないか?


冒頭に登場した「花びらが流した涙 貴方は笑えていますか?」では

「花びら」も「貴方」も女性Sとして問題はなかった。

女性Sが泣いていた。だから、語り手は今は笑えているだろうか、と女性Sに
思いを馳せている。どこも不自然ではない。


しかし、「花びらが流した愛が 貴方に届いていますか?」を見る。

本noteでは、「花びら」は女性Sであると断定したが、それでは変だ。

なぜなら、そのまま「花びら」と「貴方」に女性Sを当てはめると

女性Sが女性Sに愛を届けていることになる。

「女性Sが流した愛が 女性Sに届いていますか?」になってしまう。

つまり「花びら」と「貴方」のどちらか、または両方の解釈が間違っている。


そこで私は、ここの部分の「花びら」は語り手のことだと考えることにした。

もっと正確に言えば、前半と後半で、「花びら」が指し示す人が入れ替わったと考えた。

「花びら」が語り手であるとすると

「語り手が流した愛が 女性Sに届いていますか?」

となる。これを語り手目線に変換すると

「俺の愛はお前に届いているのか?」

どこか不安そうに聞こえないだろうか?
まるで、恋人がもう自分のことを愛していないのではないかと疑っているように。

さらに他の部分を見てみると


夏の日差しが眩しすぎて 本当の笑顔見えなくなって
空を見上げることも忘れ 地面向いて足踏みしてるんじゃねぇ!
約束された明日なんてねぇ!!
当たり前なんて思ってるじゃねぇ!!!         (歌詞本文)


夏の日差しが眩しすぎて
本当の笑顔見えなくなって=女性Sの本当の笑顔が見えなくなる
            =女性Sが語り手に本当の笑顔を見せなくなった


約束された明日なんてねぇ!!
当たり前なんて思ってるんじゃねぇ!!!
=この先女性Sが愛し続けてくれる保証はない、またはもう愛していない


また別の部分から

花びらが流した愛が 貴方に届いていますか?
若き小さなこの涙 笑い声になるまで・・・
Ah 人生という旅に出た 俺たちには後戻りはない
いつの日にか あの睡蓮の花のように
今まで流した 涙の泉の上咲かせ               (歌詞本文)


若き小さなこの涙 笑い声になるまで・・・
=語り手が女性Sからの愛情を失ったことに対する涙

Ah 人生という旅に出た 俺たちには後戻りはない
=愛想を尽かされたが、付き合う前に後戻りはできないため、
 もはや傷つくしかない

いつの日にか あの睡蓮の花のように
今まで流した 涙の泉の上咲かせ
=愛情を失ったことに涙する日々。
しかしこの悲しみをバネに生きていく語り手。
ここでいう睡蓮の花は、「あの」と付いていることから、
語り手にとって特別な睡蓮の花=女性Sのこと。
女性Sと同じくらい綺麗な女性と深い関係になる決意を固める。


つまり、睡蓮花は

「遠距離恋愛中の最愛の女性と出会えてハッピーエンド」

「遠距離恋愛中に彼女の愛が冷めてしまいバッドエンド」

の二通りの読み方ができる。これが本noteの主張である。

6.おわりに

皆さんはハッピーエンド派だろうか?それともバッドエンド派だろうか?

こんなノリノリの曲がバッドエンドなわけないだろ!って人もいるだろうが、曲調によるミスリードは割とよくある手法だ。
Miliの「Nine Point Eight」とかそうだ。Deemoって音ゲーに収録されてる曲だ。歌詞がね。

米津玄師「Lemon」とか何気なく口ずさんでるけど、歌詞の意味まったく分からん、って人はたくさんいると思う。

正直、歌詞の意味なんて分からなくてもいいと思うし、曲がノれるかどうかの方が大事だと思う派である。

しかし、歌詞に込められた意味と1vs1で向き合うのも、また面白い。

あと、皆さん是非「睡蓮花」を聞いてみてくださいね。

ある程度慣れてくると、口がひまになる度に「花びらが流した涙」
とか「誰...誰...誰...誰...俺!」とか口ずさんでると思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

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