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顔で選んだダンナはモラハラの塊でした (コミックエッセイ)

旦那を顔で選んだ女性が壮絶なモラハラに合い、離婚するまでのエピソードが書かれた本。

前までのぼくだったら、こんな本を読めば「顔で選んだ女性が悪いんだよ」で終わらせていたと思う。

でも今は違う。

「ぼくもこうなるんじゃないかと思うと怖い」

それも、今のぼくにはモラハラ夫も、恋で盲目になった女性側の気持ちにも共感できるから二重で怖い。

はっきり言えば、この本を読んで「女性が悪い」という意見を持つ人は、このモラハラ夫と大差ないと思っていただきたい。

この問題は、誰かが悪いで済む問題ではないのだから。誰かを悪者にすればそれで終わる問題じゃない。犯人捜しをする名探偵気取りはお呼びじゃない。

ここからはモラハラ夫と女性側の、それぞれの考察を述べていきたい。

モラハラ夫は未熟児

この本を読んで、このモラハラ夫が成熟した大人だとは誰も思わないだろう。

完全な未熟児だ。

分かりやすいのがマザコンであること。

義母に甘えたり、義母の意見を優先させるのはマザコンの証拠。

それでいてさらに性質が悪いのは、マザコンでありながらモラハラ夫は母の愛情によって満たされていないということ。

何を言っているのかと思われるかもしれないけど、本当の母の愛情であれば自然と子供の中に愛情は満たされていき、自立していくもの。

にもかかわらず、このモラハラ夫は全くと言っていいほど親離れできていない。

全く見当違いな「母の愛」という名の別物が、義母から息子に向かって垂れ流されている。それでは彼は、何も成長しない。

そして、母の愛情を求め続けているという点で、わかりにくいのが妻への態度だ。

簡単に言えば、「言わなくてもわかってくれる」という態度は、母への甘え以外何者でもない。

赤ん坊なら、泣くだけで母が全てを察してくれる。おなかが空いているのか、おしめが湿って気持ち悪いのか、あるいはそれ以外か、泣けば察してくれる。

不機嫌な態度だけで相手に察してもらおうというのは、立派な未熟児の態度。

「何でわからないの?」

泣きわめく赤ん坊の態度と、何も違わない。かわいいか、かわいくないかの違いしかない。

彼は、妻と結婚したんじゃない。二人目の母を求めたにすぎない。

彼は自立していない。親離れしていない。大人になっていない。

彼のふるまいを20くらい年齢を引き下げてみれば、子供のわがままと何も変わらない。

それを体だけ大人がするからモラハラ夫になるだけ。

赤ん坊に、モラルを求める人間はいない。赤ん坊にトイレで排泄するよう求める人間はいない。赤ん坊に何が問題かを言葉ではっきり述べよと言う人間もいない。

赤ん坊にモラルは無い。

モラハラ夫は、赤ん坊なのだ。

その一方で、モラハラ夫は母の愛を求めるため、母親の気を引こうとあれこれしてくる。

モラハラ夫がいきなり優しくなるのは、そのせい。

一生懸命母の気を引き、愛してもらおうとする子供の心理だ。

普段は目も合わせようとしないやんちゃ坊主が、たまたま母のために花をプレゼントしてくる。そんなものだ。

だから、愛が得られたと分かればとたんにモラハラ夫は元に戻る。その繰り返しだ。

しかし、そんな一時的な気の迷いとも思えるようなモラハラ夫の行動は、子供の行動であるために、女性の母性本能を刺激する。

刺激された側からすれば、それは理屈じゃなく本能なのだから、そう簡単に冷静に見れるものじゃない。

これが、モラハラ夫からなかなか抜け出せない理由でもある。


恋で目がつぶれた女性

恋は盲目。

果たしてこれを理解している人はどれだけいることか。

ぼくは、恋は狂った感情だと思っている。

周りからはとてつもなく愚かな相手にしか見えないのに、そんな相手を好いてしまう。

相手も相手だが、それを好きになる人もおかしい。そんな関係を成り立たせてしまう、恋という感情。それはもはや狂気だ。

狂気でだからこそ、気づくことも抜け出すことも難しい。

誰でも知る恋は盲目という格言も、いざ自分のこととなれば「そんなことは無い」と否定する人のなんと多いことか。

この女性はモラハラ夫を顔で選んだと言っているけれど、なんだかんだで全て受け入れてしまっている。きっかけが顔というだけで、あとは全て見えなくなってしまったのだ。

ぼくもそうだった。

どんなにひどい扱いを受けても、「それでも…」という想いが消えない。「素晴らしい人なんだ!」という思い込みの賞賛が、何度もぼくの中で木霊していた。

恋は盲目、その狂気さは目が覚めるまで気づけない。目が覚めると「どうして!?」と自分でもわからなくなるほどに、見えていたはずのものが見えなかったことに驚く。

ぼくはもう、恋は恐ろしい感情としか思えない。こうまで人間を狂わせる恋を、したいと思わない。

怖い。恐い。コワイ…


また、モラハラ夫のやっていることは、女性にはきわめて(悪い意味で)ツボにはまりやすい。

普段そっけないふりをしていながら、唐突な優しさを見せる。

モラハラ夫を持ちながら離婚しない女性の言い分の9割は、「それでも優しいときもあるから」。それが泥沼に落ちている証拠だ。

そのギャップに心を揺れ動かされてしまうと、どうしようもなく落ちる。これは頭で考えて判断できない。ただ、本能がそれを受け入れるから、抗いようもない。

ぼくも最近、意図的ではなかったけど、ある女性にひどく不安を与えるような状況になってしまった。それに対する女性の不安がりようと安心の落差は見ていて驚きだった。

それを素面で、日常的に行うモラハラ夫の恐ろしさは、特に男には分からないだろう。


最後に致命的なのが、彼女の家庭環境だ。

彼女の父親とモラハラ夫は似ている。

明らかに父親は母親にヒドイことをしているけれど、彼女にとってそれは普通だった。この普通がまずい。

異性の好みというものは、たいてい自分の異性の親に似る。それは、その親に「安心」を持つから。娘が父親に似た人を選ぶのは、父親と同じという「安心」があるからだ。息子の場合も同様。

しかしこの安心は、ひどいことをしないとか守ってくれるとか、そういうものじゃない。

子供にとって、「安心」とはその家庭環境そのものを指す。例でいうと、DVを働く環境で育った子供はその環境自体が「安心」になってしまう。DV環境こそが「安心」だと思い込んでしまうのだ。

子供は、自分の家庭環境に良い・悪いの判断を付けることはできない。仮に悪いと判断しても、子供にとって家庭環境は生きる全てだ。悪いと判断したところで、どうしようもない。

だから、子供は家庭環境をそのまま「良い」と受け入れて生きるしかない。その家庭環境が、「安心」だと思うしかない。

その結果、DV環境で育った子供はDVがあることが安心な環境になってしまう。だから抜け出せない。

この女性も、そういう父親が「安心」だと思うしかなかった。そうしないと生きられないから。そして、父親と似ているモラハラ夫に「安心」を感じ、結婚までしてしまう。


誰かが悪いで済むものじゃない

この本は、モラハラ夫が悪いとか、顔で選んだ女性が悪いとか、そんな浅い問題じゃない。

もっとずっと根は深く、頭で考えればなんとかできるものでもない。

そして、誰もが陥りやすいものでもある。自分は関係ないと高を括ると、同じことになってしまうかもしれない。


ぼくは、この漫画を読んでひどく心が締め付けられる思いだった。

ぼくもこうなるかもしれないという恐怖と不安。

ぼくの父親もモラハラ夫に似ている。ぼく自身も、そんなふるまいをするんじゃないかと思うと怖い。

恋に盲目になったこともある。すべてが見えたときの驚きと恐怖は、いまでも困惑する。


この本を読んだ読者が、自分の性別にこだわらず、それぞれの視点でもって「この人に何が起きているのか?」を読み取ってもらえればとても良い本だと思います。


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