見出し画像

8月22日のほがらか読書会へ向けて;ざっくりダイジェスト;『退行の時代を生きる』。

明日です。
ぎりぎりまでお待ちします。
会費1000円
http://ptix.at/xHt8ju
peatixでお支払い後にURLをお伝えします。

今週の土曜日8月22日は、ほがらか読書会です。今回はバウマン『退行の時代を生きる』。前回はアーリの『未来像の未来』でした。アーリは未来像の社会的な捉え方を議論しました。

そして、今回はなぜ実態としてなぜレトロな社会像に人は引きつけられるのかという問いを立てます。最終的なまとめは、当日ご紹介しますが、ざっとこんな内容です。

プロローグ;

p.12 二世代前の先祖のそうであったように、まだ到達していないが故に存在しない未来と結びついて存在していたものに代わって、失われ、盗まれ、投棄されているはいるものの、死んでない過去の中から複数のビジョンが出現しつつあるのだ。
p.21 (ドラッガーからの引用)個人と社会の成熟を結びつけようとする社会などももはや選択肢になく、社会による救済も期待することができない。(中略)(ベックからの引用)その後起きているものは、社会的に生み出された問題に解決策を見つけて応用する作用が各個人に委ねられ、個人は自ら保有する知力やスキルや資源を総動員している、という事態である。

第1章 ホッブスへの回帰

現在の、大小のリヴァイアサン(歴史的に形成された領土・主権国家)が混在している状況で、(ホッブズなどが)より大きなリヴァイアサンを呼び出して、リヴァイアサンのもつ欠陥を修正しようとするが、そんなリヴァイアサンは存在しない。

p.31 新自由主義は政治の中に暴力を注入し、私の生活の中に恐怖心を注入している、と。そのそしてその「私たちの」生活にしても、情報ハイウェイが交差する世界にあっては、他の人々の恐ろしい運命と無縁でいられることなど不可能であることも強調しておきたい。
p.34 (グローバリゼーションを基にして)リヴァイアサン(歴史的に形成された領土・主権国家)は、その前提であえると同時に、合法的な暴力と違法な暴力が線引きする本来ならば持っているはずの独占的な権利を失ってしまった。
p.42 (インターネットなどの新しい情報体系を背景にして) 「もはや共通の場とのつながりを持たない」「個人と行動の出来事」の「公共性」のようなものが登場したのである。(中略)一つは「媒体を通じた交流」(中略)二つめが、もう一つの「どれほどの範囲に及ぶのか明確でない受け手」のための生み出される情報伝達の「媒体を通じた擬似的な交流」である。
p.58 私たちがうすうす感じているように、私たちの世界、つまり人間の絆が弱まり、政治的に構築された構造が規制緩和されて原子化が進む世界、世界と権力が分離している世界はふたたび戦争の場になっている。それは万人に対する万人の戦争であり、そうであるがゆえに、誰がしかけたかも分からない戦争である。その戦争は、明けても暮れても、個人同士あるいは、一時的な同盟や長期的な同盟を結んで繰り広げられている。

第2章 同族主義への回帰

過去が様々な文脈で再構成されることで、新しい同族主義が生まれ、そこで「我々」と「彼ら」の分断がされ続けている。

p.66 優越心という殻に閉じこもった各同族集団の構成員は眠っている犬を寝たままにして争いを避けるために、他の集団とでなく、過去と対話使用とする。
p.67 「情緒性」が長い20世紀の亡命生活を終えて再登場した理由は、新たな同族主義の波が驚くべき展開を示していることにある。「私たちが目にしている大きなパラダイム転換は、コミュニティで構成される社会から独立欲求から、個人が構成される社会への帰属欲求の転換である」。
p.74 留まることのない「進歩」は、この世界における新たな成果や地位上昇を連想させるものなっている。その一方で(中略)「進歩の望みは色褪せ、遺産や伝統が私たちの慰めになっている」
p.77 いったん、未来を形成する力を剥ぎ取られた政治は、集合的な記憶の空間に移動する傾向がある。
p.78 過去の持つ可遡性と操作の可能性、その造形や再造形のしやすさこそが記憶の政治にとっては不可欠の条件であり、その正統性のほとんど自明の条件であり、永久に創造し直されることを黙認するものである。
p.82 皮肉な事に、過去は非常に便利でなお多くの面で魅力的な安息の場づくりの建設現場となっている。

第3章 不平等への回帰

 権力と情報のグローバリゼーションという二つのプロセスは同時性と相互依存、そして、非可能性と言う要素を生み、結果的にゼロサムゲームを発生させ、不平等を許容する社会システムを構築する。

p. 110 資本主義国家が管理し、もたらしたこの資本と労働の蜜月状態ともいうべき休戦状態がなぜ突然終わったかのかという疑問は(中略)グローバリゼーションが引き金を引き国家が熱烈に支持した、資本と労働の相互依存の一方的な解消と資本家の強欲とそれに伴う犠牲を防ぐために枠組みであった制約の撤廃こそが最大の容疑者だったようである。
p.113 各流派のエコノミストがどの不平等の指標を好もうが、結論は一緒である。不平等は拡大しているのである。
p.140 今日、「不平等への回帰」の流れが広がり、大きな力になっていることが強力な裏付けにとって明らかであることを根拠にして、UBIプロジェクトの施行は運命づけられている、と論じることは重大な誤りであると私は指摘しておきたい。(中略)今日の「リアリストのためのユートピア」の数少ないの基本要素の一つであるUBI(ベーシックインカム)の持つ活力を、危険で壊滅的な流れを逆転させる闘いの強力な武器として活用することができる。

第4章 子宮への回帰

我々の求める「快適」はあくまでは市場のゲームから発生し、我々と彼らを分断するものになっている。

p.144 いったん市場のゲームに身を任せると、商品化された人間は売買取引の集合体として世界的内在を受け入れ、その世界にいる人々を個人が所有し経営する売店に商品を並べる商店主の集合体とみなさざると得なくなるか、あるいは、実際にそういう立場に置かれることになる。
p. 145 全ての人々にやがて訪れるはずの希望の持てる始まりを期待して耐え忍んでいる人々がいる一方で、幻滅を覚えたり、感情を傷つけられたりしえ欲求不満に陥り、自分達の願望を過去に向けようとする人々がいる。しかし、いずれにしろ、ほとんどの人々は、くる日もくる日もささやかな満足感をもたらしてくれる機器によって、一見安全そうな個人的な関心事や自己言及という避難所に退避して意欲や期待を弱めることで耐えがたい現実を耐えるのが精一杯の状態で(未来にも過去にも)関心がなさそうである。(中略)ほとんどの人々は(中略)集合意識は扇動であるか、無邪気であるかのいずれであると信じ続けている。
p.146 私たちは意味のない先入観や決まり事を植え付けられ、それを自分達の実在しない地位を確認するごく簡単なレシピと信じ込むようになった。
p.155 かつては人々の道徳的態度の核心であったと思われる、責任を想定すること、それに忠実であり続けるについていえば、この新たな「自己への回帰」の道徳性は責任を「世の中」から私の体、つまりその機能性や十分な「快適さ」をもたらす能力に振り向けることに述べておこう。
p.155 つまりかつては個人間の溝の橋渡しや距離の短縮、統合に役立つ重要な接着剤であったものが、今では分断や分割、分離、疎外の手段に加わり、さらには傍聴し続けている。
p.179 「同族主義への回帰」現象と「子宮への回帰」現象は、いずれも「ホッブズへの回帰」の流れの強力な支流であり、ほとんど同じ水源に発している。(中略)それは腹立たしいほそ気まぐれで不確かな現在の中に埋め込まれている。

エピローグ〜変化を期待して

p.188 今のところ、断固たる行動が可能な統合されたシステムの中でも最高の主体である国民国家は、その作業のために考案し、調査した独立性と自立性という目標を多少なりとも達成し終えた後、人類の地球規模の相互依存という現状に効果的に対応できないということが日々明らかになりつつある。
p.189 今回の統合を人類全体に広げようとする試みには、試験済みで、勝利の不可欠の条件と思われてきた「共通の敵の指名」「われわれ対彼ら」という道具は用いることはできない。
p.196 それを実現する(人々の平和的な共存、連帯)ためには、それを実現するために、お互いを私たちにとって「適切な対話のパートナー」として受け止め扱う上での必要な条件を整える必要がある。フランシスコ法王が指摘しているように、有用な対話のチャンスは私たち相互の経緯の有無に左右されるものであり、身分の平等をが全体となり、それが相互に承認される必要がある。

会費1000円
https://peatix.com/event/1555168/view
peatixでお支払い後にURLをお伝えします。



ありがとうございます!