「ねんねんさいさい」

 先日、山梨県富士吉田で開催されている芸術祭FUJI TEXTILE WEEK 2023で発表した新作「ねんねんさいさい」について、ざっくりと言葉にしてみました。とても長くなってしまいましたが、読んでもらえると嬉しいです。

「ねんねんさいさい」2023年 Photo by Seiran Tsuno(hair &makeup Yousuke Toyoda / Assistant Keisuke Degawa,bernlnl)

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず。」(劉廷芝「代悲白頭翁」)

私の最愛の祖母が時折、寝ながら呟いている言葉である。毎年毎年、花は同じように咲くが、人の身は変わって同じではないという意味だ。高校時代、演劇部だった祖母は、牡丹の花の精の衣装を着てこの台詞を言ったそうだ。

祖母は子供の頃から自分の服を作ることが好きで、ほとんど市販の服を買ったことがなかったという。私が幼少期の頃の祖母は飲食店の社⻑をしており、太っていたこともあってか服はいつもオーダーメイドだった。「あなたも太っているから、身体に合った服を着ないとみっともないわよ」と、私にも同じ先生が作った服をオーダーしてくれていた時期もある。祖母は時折、私をお気に入りの生地屋へ連れて行った。次に作りたい服のための生地選びに夢中になっている祖母を眺めているのが楽しかった。

そんな祖母は数年前から怪我や持病の悪化で入退院を繰り返し、足腰が弱っていくにつれ、いつしかベッド上で過ごす時間が増えていった。徐々に身体がベッドに溶けるよう に、平たく変化しているように見える。かつては部屋に人を入れることすら嫌っていた祖母が、今は在宅介護を必要とし、毎日さまざまな人の手によって支えられている。部屋の押し入れにはまだ、服になることを待っている生地が溢れている。

私は現在大学院で、衣服を作るという行為を通して、思い通りにならない身体との付き合い方(「ファット」な身体をテーマにしている)を発見するという研究を行なっている。⻑年、身体との付き合い方に苦労してきた自分にとって、この研究は自分自身の当事者研究でもある。

研究の傍ら、「寝てるだけだからもう新しい服を作ってもしかたないわ」と言う祖母と一 緒に、現在の身体に合わせた服を考えることをはじめた。介護者に身を委ねるにつれ、 徐々に身体が開かれていき、かつては立体的だった祖母の身体が、徐々に平面に近づいている。平らになったお腹はお皿を乗せるテーブル代わりとなり、少し遠くの物を動かすために孫の手(背かき棒)が手放せなくなった。そうした祖母の身体の変化に合わせた服を、祖母の身体感覚や付き合い方を聞きながら、祖母が収集した布を使って一緒に制作していった。 「着るなら絶対に真っ赤な服がいいわ。赤なら私の白い髪も映えるの。」という祖母の言葉で、押し入れから赤色の布を10枚ほどかき集めると、その中から祖母が慎重に布の組み合わせを選んでくれた。

そんな祖母がこの秋、持病の悪化で入院し、退院後も状態の安定しない日々を送っていた。どんどん溶けていくように見える祖母の身体を、家族や介護支援者みんながひっぱり上げるように、祖母の身体の輪郭を取り戻す日々(実際にいつも体勢を整えるためにシーツで身体をベッド上部へひっぱる動作をする)。元々、祖母のベッドのすぐ近くに制作場を設けていたこともあり、私は祖母の介護と同時に、ゲン担ぎのように隣で服を作っていった。それをしないと祖母がさらに溶けてしまうような気がしていた。祖母が回復してこの赤い服を着る日のことを願い、ずっと傍で沢山の支援者と一緒に介護をしていた。日々多くの方が会いに来てくれて、祖母を励ましてくれる中、徐々に回復し、同時に服も完成に近づいていった。

祖母の呟く詩「年々歳々〜」と牡丹の花をモチーフにしつつ、今の祖母の身体に対する家族や支援者との関わりからインスピレーションを得る中で服が完成し、撮影の日を迎えることがてきた。当初は水平に広がり、溶けていく服のイメージだったが、完成に近づくにつれて多くの人のひっぱる力で形を保つことができる服という方向にイメージが変化していった。

祖母の状態が不安定だったとき、何を言っても反応が乏しく、全て受け身で、優しい言葉しかかけてくれず、弱々しくなっていることがものすごくショックだった。

祖母のための新しい服というよりは、私の中のあの強烈で最強で最愛の祖母を取り戻すための服、あるいは祖母と祖母を囲む私たちのあいだで生まれてしまった服と言った方がしっくりくる。だからこそ、祖母の回復に伴って当初考えていた肌に優しい柔らかい生地を使って着やすさを感じてもらえることよりも、祖母が今まで通り私が作るものに対して「変なデザイン!」「ここはこうしたほうがいいい!」だとか「ここちくちくするわ!」とかいう厳しめの反応があることが、逆に嬉しくなっていた。その反応があってようやく、祖母を取り戻せた感を得られ、ホッとしたことが自分でも不思議だった。

(介護に適したような合理的な服が作りたかった訳ではない)

ベッドをはみ出し、床や壁、天井まで広がっていく服。 祖母の服を持ち上げているのは、長年制作アシスタントをしてくれており、祖母とも親交の深い出川慶亮氏。祖母の服の制作を共にし、様々な気づきを教えてくれる。「ねんねんさいさい」2023年 Photo by Seiran Tsuno (hair &makeup Yousuke Toyoda / Assistant Keisuke Degawa,bernlnl)

―以下、さらにまとまりのないメモー

撮影前、馴染みのヘアメイクの豊田さんにイヴ・サンローランの口紅をプレゼントしてもらい、それを施された祖母は、一瞬で女優のような表情になった。元々演劇部だった祖母は、撮影の度に表情がガラッと変わる。これまで、自身の写真が世界的に広がっていくことを誇らしげに周囲に語っていた祖母、モデルとしての力も年々増しているように見えた。撮影後、写真を見て歓喜しつつ、「これは手の形が変だからだめ、これは素敵ね、これは顔が下膨れ、お髪が綺麗ね」などいつものようにNGを言うことがとても嬉しかった。

5年前からの制作チームのみんなと祖母。みっちゃん(左)が作ってくれたお揃いのTシャツを着ている。制作場が祖母のベッドの隣だったので、毎日来るアシスタントのみんなと仲良しになっていった。時には制作を手伝い、常に見守ってくれていた祖母。みんなもそんな祖母を大切に想ってくれて感謝。

ITSの頃からのアシスタントで祖母とも親交が深いけいすけ氏(写真で祖母の服を引っ張っている)が展示設営時に「僕達はばあび(祖母の愛称)の服を作っているのではなくて、元々演劇部の座長で女優だったばあびが今でも女優でありつづけるための大きな赤い幕を作らされているのかもしれないですよ。」と言った言葉、服を作ることで気づけた大きな発見だと思った。実際、先日の入院時に「病人の役なんて簡単なもの、どんな役でもできますよ、なんでもござれ。」と言い出したとき(祖母なりのジョークなはずだけど)、半分信じてめちゃくちゃ怖くなったことを思い出した。祖母の長女であり私の母も、祖母が具合が悪くなると口癖のように「おばあさんは女優だから」と言っていた。実母の老いを受け入れられない娘の葛藤から出た言葉だと思っていたけど、今では半分本気で同意している。

けいすけ氏がもう一つ発見したこと「ばあびの魔力は、歳を追うごとに生命維持(身体)の方に使われて、本人のキャラクターがどんどん柔らかく、かわいくなっていっている。ハウルの動く城の荒地の魔女のパワーダウン後のような感じ。」

そもそも祖母には魔力があるという前提なのだけど。今回の退院後の状態が不安定な時、かなり意識が朦朧としていたんだけど、側で心配する私に祖母が「今身体のために・・・話すエネルギーを省エネにしてるのよ・・・」と言っていて、意識を一旦飛ばすことで身体の内側に魔力を集中させて戦ってくれてる感を強く感じたり。

「ねんねんさいさい」2023年 Photo by Seiran Tsuno (hair &makeup Yousuke Toyoda / Assistant Keisuke Degawa,bernlnl)

展示情報:『FUJI TEXTILE WEEK 2023』
日時:2023/11/23(水)〜12/17(日) ※期間中の月曜日 休館
開館時間:10:00 – 16:00(15:30 入場受付終了)
会場:山梨県富士吉田市下吉田本町通り周辺地域
(私の展示は旧文化服装学院2階です)
料金:1,200円 ※高校生以下無料
https://fujitextileweek.com/

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