現代の乙女からセピア色の乙女へ
本年、密かに公表いたしましたが、
思い出深いものとして、
アートにエールを!の企画に祖母、母と参加をいたしました。
動画の元になったのは
『セピア色の乙女たち』という作品。
戦争体験者である祖母を主人公にし、
母が戦争体験記を書きました。
その体験記には、こんな言葉があります。
"鮮やかなスポットライトの中の乙女たちと、セピア色の写真の中の乙女たちが重なって見えた"
…この、セピア色の写真の中の乙女というのが、私の祖母のこと。
写真の中の祖母は、太平洋戦争と共に青春時代を過ごした大学生でした。
幼い頃私が、かつての祖母によく似た、モンペ姿で戦時中が舞台の演劇に出演したときに、母が客席でそう感じたそうです。
そして、昨年、母の希望もあり
体験記を脚本家したものが、
朗読『セピア色の乙女たち』
(2019年10月上演)です。
本作品は、実は大学卒業の際、学内の戯曲集の収録作のなかから一人だけいただける高橋いさを先生からの賞をいただきました。
4年間の集大成になったのも、きっとこの作品だと思っております。
今年も何かしらの形でこの「セピア乙女」の企画をと思っていたのですが、叶わず…そんな時にアートにエールを!の企画に出逢い、ひとつ、形にしてお届けすることができました。
難しい題材ではありますが、来年以降また演劇という形で上演できたらと思っています。
さて、
主人公のモデルとなった祖母ですが、
大学時代は女性ながらにハンドボール部とハンググライダー部に所属したり、就職してからも職場演劇で主演女優を務めたり…。
自分で言うのも烏滸がましいかもしれませんが、私の行動力や演劇魂は、祖母から受け継いだのではないかと思います。
女優を経験したことがあったからか、私の演劇活動を母と共にいつも応援してくれていた祖母。
そんな祖母と、母と、
制作した動画バージョンの「セピア乙女」。
朗読『セピア色の乙女たち』をさらに編集し、動画として再制作いたしました。
芸術活動が難しくなったこの時代に、アートにエールを送ろうと東京都が考案した企画に、祖母の戦争体験を元にした作品で応募し、審査を通ることができました。
祖母にも本人役で出演してもらい、実際に台詞を読んでもらいました。歳をとってから、自分が表に出ることに積極的ではなかった祖母が上機嫌に「あたしがこれを読めばいいの?」「もっと上手く読めたわね」「次のために滑舌の練習をしておかないと」と意気込んで協力してくれたのを覚えています。
母が書いた、祖母の戦争体験記は、こう締めくくられています。
"セピア色の乙女たちも、物悲しいハーモニカの音色も、時代の遥か彼方に忘れ去られてしまったかのようだ。しかし、母の目に映った遠い日の光景は、母の記憶のなかで永遠に消えることはないだろう"
演劇として、朗読して、けして有名な作品ではないし、いつか、時代に忘れ去られていくものかもしれません。
しかし、小さくても、確かにそこにあった戦争体験と、そこに生きた乙女たちの想いを、語り継いでいくことはできます。
語り継ぎたい、その一心で生まれたひとつの作品。そこにこめられた祖母の想いと、思い出を、現代に生きる私たちが、この時代へそして未来へ伝えていくことはできる、と私は信じています。
戦前、戦中、戦後と生きた祖母も、今年の冬、私が稽古中だった12月公演を観ることは叶わず旅立っていきました。
いつも、母と一緒に、私の演劇活動を心から楽しみにしてくれていました。
祖母が書いた最後の日記には、「舞台芸術の発展を心から祈っています」とありました。最後まで私のことを、私の大好きな演劇のことを、願っていてくれていたのだと思います。
これからも、空から見守ってくれていると信じ感謝して、来年も前向きに、活動を続けていきたいと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?