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人生初富士登山 その3

元祖7合目(クドイがその次が 本家 じゃなくて良かったよ)から8合目まで結構な岩場だ
ここを登る時には雨も本格的になってきて思い出したようにレインウェアを身につける
下山する人の波とすれ違うが、殆ど晴れやかさはなくみな疲れた顔をしている
登りの人間たちに道を譲ることもままならない人が増える
私が今まで登ったことのある数少ない山は冬以外は樹木が繁り木漏れ日の差すような山道を持つ山のみで、登りの際にすれ違う下山の人の顔はみなおしなべてほぼ晴れやかだ
木の生えない山がそうさせるのか
この岩場か?雨風か?

しかし登ると決めたら次の地点まで心の方は迷いもない
8合目には診療所もあるらしい
駆け込むようなことはないだろうが
脈拍や何やら簡単な私の生体データでこの状態の危険レベルを知りたいと思う
手のひらを見ると血の気がなく異様に白い
こんな自分の掌は見たことがない
呼吸は苦しくなく頭は芯の辺りが小さくズキズキする
そしてとにかく眠い、身体が動でなく静を激しく求めて私の意思を拒絶している

体を無視して心を優先しがちな私の普段の癖は、時には良くも出るが短期的で、その積み重ねによる破壊力は大きいため注意が必要だ
今はどうなのだろう?気力で奮い立たせていいものか?客観的データを取りそれを知り把握したい

雨も風も強くなり休憩時に倒れこむように仰向けになるのも憚られる
これはキツイ
残り少なくなった行動食のナッツを噛み締め塩をなめる

やっとの思いで8合目に着いたのは
頂上から下山する期限だった13時半
登り始めから6時間弱が経っていた

ペースが人によって違うのは百も承知だが、登山において目標までが人によって違うものだとは実は腑に落ちていなかった
しかし私の目標はすでに迷いなく8合目に変わっていて抗うことのできない現実にやっと身体が救われた
時間制限は非常に残酷だがとても大切だ
身体と心のバランス
時間の観念
この2つは日常からのまさに私の課題だ

情けなくも悔しくも、私にとっては現時点に自分が身を置く場所が私そのものだ
取りも直さず今はそこが私のゴールだ

診療所は空いているのか否か
戸がかたく取っ手もなく開けられず
呼び鈴もなさそうだ
開かないとなるといずれにせよ山の診療所で生体データを取って現状を把握したいなどということは熱があるか調べるため救急病院を訪ねるが如き迷惑行為であるようにも思え断念する

雨風の強くなった8合目の山荘では人々がなけなしの軒に身を寄せていた
泊まり客が列を作る先を覗くとパンやら見慣れたお菓子やらが見え、何某かは私のコインのみが残った財布からトイレの考えうる最大料金を差し引いた金額でも通用する食べ物がありそうだった
百円で柿の種6連パックの小袋1つを買った
下山し切るまで行動食をゼロには出来ない上に空腹感は一層だ
口に運ぶ度雨に濡れる柿の種もまた美味しかった

不思議なものでここまでと決めた場所から下るのには何も不安を感じなかった
揃っていたもののおかげだ

下山に十分な時間と行動食
高山病が癒えていく感覚と道理(徐々に獲得した慣れと高度を下げるという絶対的有意)
トレーニングで登ってきた竜爪山で把握していた通常時の自分の筋力レベル
ここまでに決定的な故障箇所が足腰にないこと

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