人生初富士登山 その6 下山〜エピローグ+次回への備忘録
8合目から元祖7合目の岩場は下りも大変だ
雨が強く顔を打ち涙と相俟って丁度いい
少しの悔しさと周りの見知らぬ人の必死な様子に少し前の自分を重ね涙が出る
登ってくる人たちはまだたくさんいて
ああ人生と同じだなーと思う
それぞれがそれぞれのタイミングで、
すれ違う、共にする一瞬の客観的事実は全く異なることはないのに
感情も感覚もドラマも意味も何もかも
そのどれをとっても同じものは多分ない
そしてまたお互いそれらを知る由もない
確かに一瞬を共有しているのに
何度か滑ったり時に転んだり
その度に頭のズキズキを少し感じながら気を引き締めたりついつい緩んだり
それでも身体のだるさはかなり治ってきているのを感じる
癒えないのは空腹だがそれにも既に慣れている
元祖を更に下り新7合目までの道のりはずっと楽な道程だがそれに気付いたのはこの下山時だ
登っている時には高山病の深刻化で異常なしんどさだった
この斜度にしてあの体感、その異常事態にもう少し対処する術が必要だった
冷静に考えるとまさにここがターニングポイントだ
しかしそもそもの計画にそうゆとりはない上にスタートが遅れ、更にこの天候の悪化だ
ここでもう少し休み身体を慣れさせる事ができたり栄養補給が適正であったとしても私の状態ではやはり8合目までがせいぜいだったろう
あと1〜2時間早かったとしても高山病をこの地点で発症しては到底山頂は無理だ
つまり、高山病を克服する何か日常的生活習慣の根本的改善なり何某かのハナレワザがない限り、私の次回のチャレンジは8合目の山荘1泊が妥当だ
筋力アップやトレーニング、気力などの問題ではなくポイントはまずこの一点だ
無論8合目以上のまさに富士山の真髄には私の知らぬ更なる過酷な道程が待っているようで、それを克服するには筋力アップもトレーニング、気力もまだまだ必要なのかもしれないが、今回引っかかってしまった関門を突破するのはまずは高山病を踏まえての計画と対策だ
そんな事を考えながら岩場に座り下山開始後1時間半程か?2度目の休憩を取っていた時、先輩の1人が9合5尺から下山して私に追いついた
顔を見た瞬間、心からほっとした
すーっと色々な緊張が解けた
この新7合目より少し上の場所から登山口までは2人で下山
ここまでの自分自身との対話から楽しいお喋りに世界がガラリと変わった
頭のズキっが時折残るくらいで身体の酷い重だるさは足首の疲れ以外殆ど感じなくなっていた
登山時はプロムナードとプラスαしか仲間と共にできなかった私の実質的ゴールは30年前にタイムスリップしたような、なんとも心地よい時間になった
16:45登山口に帰還
先輩と満員の食堂で売っていたあったかいカップヌードルを食べながら、後に知る悪天候の中頂上制覇の仲間2人を待つ
その間2時間弱、どんどん人気は引いて初めは雨風とタイトな時間を思うと気が気でなく2人を心配したが、しばらくして無事を知る頃急に身体が冷えているのに気付き、持ってきた防寒着全てを登山口に下りてしばらく経っていたのに着込む
濃い霧と深い青の闇の中、5合目から水ヶ塚公園駐車場に戻るバスは私と頂上制覇のリケジョ先輩の座る場所以外静まり返っていた
疲れを滲ませながらもいつも通り周りをほんわか明るくさせる先輩のお喋りは昔ながらで健在だ
隣でそれを聴きながら時々会話が遠くなる子守唄のように溶けていく
男性陣2人は11日の夜にここに到着
彼らの2台の車は丸2日間ここでどんなにか沢山の登山客の往来を見ていたろうか
20時頃だったか、2台3人は茨城、埼玉、神奈川とまずは首都圏に向け御殿場方面に下る
私は富士宮方面へ霧の中再度の緊張を味わいつつフレディーマーキュリーを聴き眠気を覚ましながら下る
富士宮から自宅へ向けスマホのGoogleマップが私に選んだ道はなぜか静かな静かな田舎道で、ついぞ高速に乗る事なく下道をひた走り海沿いのよく知る国道に出た
足腰には余裕があったが、身体の疲れは強かったので結果的には高速でなくて良かった
これがGoogleのビッグデータのなせる技だとしたら〜ちょっとコワイ
ともあれ無事に帰宅したのは21時半
65時間半振りに我が家に戻る
〜〜〜
あらゆる意味で旅だった
空間の横移動は大きくもないが、自分史上最高値の地上縦移動
そしてなんといっても
梅雨の只中で決行が危ぶまれる中
計画変更にも関わらずこうして半年に及ぶ一大イベントの幕開けが出来たこと
自分自身のゴールに向かえたこと
そしてもう30年も前にたったの数年を共にした、今は各地に住む仲間と貴重な時を共にできたこと
何より当時出会えたということ
きっと人生はこんな風に
昔も今も出会いと縁でできた
瞬間の連続だ
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