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「仮想世界線舌戦」用語解説

 分かりづらいと思います。分かりづらいから無理矢理消化するために作品に昇華したわけです。ルックバックもそうでしょ。ルックバックはこんな分かりづらくなかったけど……。
 面倒くさいので総括や詳しい解説はしません、というか出来ません。なにかあればコメントとかTwitterのDMとかに質問ください。出来る限り応えます。



仮想世界線舌戦:解説

(verse.1)

「当クエスト」
 →SKILL TESTのこと。Novel Coreから発注されたSKILL TESTをクエストと表現した。

「オーギュメントの上で音符ゲット」
 →オーギュメントコードの語源「augmented:拡大された、増加された」から、ビートに対してラップを乗せたものを音数を「増加させた」ものとする比喩。ここでいう音符とはフロウであったりラップトラック自体であったりだが、ようはビートアプローチするぜ!という意味。
 余談だが、「当クエスト~音符ゲット」は別自作ラップからのサンプリングである。

「『超すげぇのをくれ』?」
 →当クエストすなわちSKILL TESTの依頼内容。

「遠くへ届く説法不滅」
 →広く知れ渡る説法というのは永久不滅であるという認識の共有。また、このラップはそうした説法のうちの一つであるというセルフボースト。

「オンステージ (Go) 」
 →オンステージの「上演」という意味を拝借して、これから始まりますよという意志表示とした。(Go) は「これから始まる」という空気により勢いをつけるため付け加えた。音源はMARETUの「マジカルドクター」1:14~からサンプリング。

「男神」→私のこと、セルフボーストの一つであり、EminemのRap Godの

「Think not why be a king when you can be a God?」

を意識した比喩。 (参考動画)

「男神拝み総立ちの民 願いお書きよ」→自身を神と表現したので、視聴者に対して神らしい態度を取っている。また、私の中にある啓蒙と寛容の悪癖を傲慢さとして表現したラインでもある。

「先延ばし後悔を立ち退かし」→先延ばしという通行止めを退けることで後悔を失くそうということ。韻によって引っ張り出された表現。

「永久に女神隣おわし生涯」→「男神」に合わせたセルフボースト。ラップの女神と解釈することで生涯ラップを探求するというメッセージも生まれる。

「日本語ラップ~にお出し」→そのままの意味。ラップの神となる発言に説得力を持たせるために全音母音踏み。

「共依存ない~理想な韻」→「上白」とは白米か砂糖のことであるが、ここでは手垢のついていない韻の形容であり、最も近いイメージとしては誰にも " 踏まれていない " 平らな雪原が挙げられる。「未踏」とは " 踏まれていない " ことを示唆している。

「極楽浄土に~討論開始」
 →verse.2/.3に繋げるためのブリッジパート。
 「説法」「拝み」「衆生」など、全体に仏教の用語が散りばめられており、装飾として世界観及び雰囲気を立たせている。
 討論の議題はHIPHOPのカルチャーである「グラフィティ」の是非について。
 前半一文は、以後の討論パートが、極楽浄土に居るような高徳な僧侶の格言や説法に自身の主張の説得力を保ってもらっていることを示している。自身の思想を正当化するために「おんぶにだっこ」をねだっている。

「上手に屏風にお絵描き」→グラフィティのこと。

(verse.2) 大人パート

 全体を通した主張として、様々な人の不断の努力によって維持されている治安を自分都合で乱すのは良くないという考えがある。
 また、自分の理想と実際の現実のギャップに悩んだ結果、実現可能な範囲の自由を妥協し、それを受け入れるために現実を肯定するという「大人」な考え方が言葉選びに表れている。自身が受け入れた妥協を否定するような、理想を追い求める子供に対して、自分の感情を押し付けるために理屈を後からつけて発言している。

「無秩序は簡単」→秩序の維持に対する神格化。そのために行われる無秩序のネガティブキャンペーン。

「いつでも軟派?」→子供の態度に対して。

「躾けろ母さん」→「軟派な子供はその母親がしっかり躾けろ」という意味。また、指摘はする癖にその改善、つまり責任は自分の言う事を聞く他人に押し付ける「大人」の悪癖を滲み出させている。家父長制度が染みついてる"お父さん"が妻に命令してるニュアンスが出るよう意識した。

「気付けよなぁ 馬鹿な~甘い楽観」→自分本位で居続けると社会から迫害されるぞという忠告のような脅し。自分本位で居続けられるのは浅い楽観視のせいであるのでそれも辞めろと云っている。

「『なんとかなっ~ダンスホール」
 →行き当たりばったりでことに臨めば、上手くいっても『なんとかなった!』にしかならない。大抵の場合それには自分以外の視界に入らない努力 (冒頭の治安の維持など) によって支えられたものであり、大人の手から逃れ地下のクラブで踊っている夜ですら、大人の点した、子供や生きづらい人への気遣いという「灯り」に照らされているのだぞという指摘。その気遣いを監視と捉えれば地下牢であるし、灯りと捉えればダンスホールにもなる。この認識は至極の素に近く、大人としての演技は以降のパートに表れる。

「そこには感謝~端から辞めろ」
 →そうした気遣いの上で支えてもらった自分たちの " 居場所 " (もしくは屏風への落書きで例えた行為) の正当性は主張する癖に、自分たちが他人の " 居場所 " の上から落書きをするのは黙認してもらおうとする自分勝手な「子供」に対するディス。
 ここでいう「興味」とは視界に入らぬ他人に対する感謝の気持ちである。
 正論で納得しかかっているので、「おい泣くなら~辞めろ」と高圧的に相手を否定し、言う事を聞かせようとしている。理屈による感情の正当化。

「高徳な~運命だ』」
 →『許された幸福を許すな』
からセルフサンプリング。先人が遺した格言を拭ってしまうと同じ過ちを繰り返すことになるため前に進めないのが世の常、運命であるという意味。
 仏教由来の言葉ではないものの、「僧の説法」という設定のラインをサンプリングすることによって (verse.1) の「僧侶におんぶにだっこねだり」を回収している。

「上書きすなガキ弁えな」→視界に入らぬ他人の努力と金言を同じように尊ぶべきものであるとし、それを自分の都合という絵で上書きする「上手なお絵描き」を批判している。「気にいらない」という感情を理論武装し高圧的に押し付ける主張。

(verse.3) 子供パート

 全体を通した主張として、理想を追い求め今の世界をより良くしようという志を何よりも大事なものとしている。感情を出しつつそこに魅力的な理想像を添えることで説得力を増す話法。理屈よりも感情に訴えるあたりが「子供」であり、自身の感覚を絶対的なものとする考え方は「女性性」由来のものだと考えていて、私はこれらが嫌い。
 私の評価としては、理屈には賛同出来るがそれを感情の正当化に使う点に反対の大人パート、感情的で納得出来ない主張ではあるが信念や魂には共感出来る子供パート、となっており、これらの対比から自分の意見を探ってもらうのが、この曲のひとつの使い方である。

「義務教育産 秩序の絆深く」→学校教育によって植え付けられた道徳を揶揄している。またはその洗脳の根深さに言及している。

「いつか腐る シグナキュラム」→シグナキュラムとはDog tagのことである。それすら遠い未来には腐ってしまうかもしれないし、学校や軍隊のような体制もいつかは崩壊するという主張。

「一旦退けろ~日本を怯ます」
 →『証言 / 至極』
の最後のラインをセルフサンプリング。原曲ではバビロンはストレートに政府のような権威を指していたが、当楽曲では義務教育を指しており、「キスマーク」とはそこで植え付けられた倫理観や思想である。「テロ」とは、原義からズレるものの革命に近い意味で使っており、植え付けられた思想を疑問視しその意味を問い質すような受け取り方をして欲しい。また後半のパートは政治家がディスの標的になっており、全体的にポリティカルな雰囲気の該当バースと親和性の高いサンプリングにしている。

「いつまでも続かぬ~と集中』だぞ」
 →治安の " 維持 " を神格化する大人に対して、恒久不変の " 維持 " などは不健全なものであり、四季の移ろいのように変化し続けることこそ健全な " 発展 " だと主張している。
 変わりゆく→ガラリ 崩れ → ビル 生え変わる → 除草剤
というように、無機質なイメージから徐々に生命を想起させるワードにスライドさせることで、己の主張を魅力的なものに見せている。
 そして、日本を失うきっかけになった『選択と集中』こそこの " 発展 " の土壌をダメにする除草剤であり、その毒牙が今「上手なお絵描き」及び特定の文化を襲おうとしているという訴えでもある。

「お絵描きは雑草?」→除草剤の対象に「上手なお絵描き」が含まれていることを提示。

「利に喩った」→渋沢栄一の「利に喩らず、義に喩る」(参考サイト)
から引用。元は孔子の「君子は義に喩り、小人は利に喩る」のようだが、私は「論語」も「論語と算盤」も未読であるため、この言葉の意味以外については明るくない。

「利に喩った~な問題児」
 →「利に喩った倫理」とは、拝金主義の現代社会における道徳観、倫理観のことである。自分で稼いだ金なら何をしてもいい、金を稼ぐためなら何をしてもいい、金の巡りを良くすることが人生の目的である、といったような " 道徳 " である現代では、「利に喩る」ことこそ倫理なのである。
 そしてその倫理は政界にも巣食っており、インボイスや消費税などを始めとする悪法、非累進課税があたかも平等で公平な優等生の顔をしている。その外面の良さのために慇懃であるが、実際は " 発展 " の土壌を腐らす問題児であるということを主張している。

「幼い頭に大人の身体だからか?」
 →呂布カルマ『天竺』
からサンプリング。
 利に喩るような君たちは小人、つまり「やっぱ馬鹿ばっか」というディス。

「禁忌肢を~モーマンタイ?」
 →人の命を奪うような選択肢を選んでも、それが自民党という独裁政党に気に入られ自分の懐が潤えば問題無しとする行いを疑問視するディス。

「息苦しそうな~に説く理想」
 →目先の日銭のために身を粉にし、それを周りにも強制し自家製同調圧力に囚われている人達を『功利』教と表現。その信者らは小売り業のような義に喩らなければならぬ大衆商売を低賃金の負け組とすることで「利に喩る」理想を正しいものであるかのように説いている。一つの視点でしか観測していない差を根拠に正否を決める短絡さ、視野の狭さを揶揄している。そしてこの視野の狭さとは、現実に折り合いをつけることだけを「大人の有り形」と神格化する「大人」にも見られるため、そちらへのディスにもなっている。

「行儀良くしてりゃ正解?」→長いものに巻かれろ主義、事なかれ主義への批判。正当な怒りは社会を正しい方向へ変えると信じていて、沈黙は差別、迫害の容認なのだとしている。

「え笑 ない笑」→子供らしいフレーズ。「笑」に若者らしさ、また笑いながら意見を押し通す不遜なコミュニケーション上手の若者を表している。

「それって手痛~る論理など。」
 →「行儀良く」とは " 発展 " を妨げる「停滞」であり、それはあまたの文化や人が犠牲になる「手痛い」期間なのである。
 今だけ通じる論理とは、「今までこれで上手くいったのだから変える必要は無い」という言い分であり、昨日今日の範囲でしか物事を考えられない浅薄な輩の主張を批判している。

「解は捨て去れよ 大般涅槃教」
 →この時代の正解がいつまでも正解であることはない。先人の遺した解に疑問を持ち、正しい社会の為に模索することを忘れないスクラップアンドビルドの精神を説いている。
 (verse.1) の「極楽浄土の僧侶」から、釈迦の入滅の意義を説いた大般涅槃経と韻を踏むことで、ここで主張したような生き方を尊いものとして強調している。

【仮想世界線舌戦】

 タイトルの「仮想世界線」とは私の脳内のことを指している。そこで行われる「舌戦」が大人と子供の討論である。繰り返しになるが、それを通じて自身がどのような意見を持っているかを知ってもらおうというのが当楽曲のひとつの楽しみ方である。

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