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『休薬期間中。78日目』

『がんかわいがり』を開始して、休み休みではあるものの、78日目がたった。この間。時々、鏡を見ると、私は私にぞっとしていた。
ぐっと、老けたのだ。この鏡の中の人物。何かに似ているな。そう、思っていた。しばらくして、その問いの答えを得た。
「26号に、似てきたな」、私はそう思っている。26号と言えば、何を思いうかべるだろうか。手の平が思いうかべられたなら、それは正解だ。

タカシくんだ。
キヨコの友達の、マサルの友達の、アキラの友達の、タカシだ。デコスケ野郎の能力の発動のキッカケをあたえた。金田にすべてを託した。あの、タカシだ。『がんかわいがり』とは、それほど強烈なのだ。どちらかというと、アキラ似だったこの私が、ネオ東京在住のタカシくん似になってしまった。まったく面白いものだ。私の見た目がはじめて、それも一気に、実年齢に追いついた。見た目49歳の完全体の私が鏡の中にいる。

いつも、10歳くらい若く見られて侮られていた私が『がんかわいがり』によって、実年齢に追いついた。そして、これから、私の見た目は実年齢を、ばーんと追い抜いて行くはずだ。どんどん『26号タカシ化』が進んで行く。
此処はネオ群馬なのか。そう、錯覚するだろう。
「26号こんにちは」、私は鏡の中の私に、そう、挨拶をする。「せいのほう26号。おはよう」、と。

ただ、私に人間の友達は一人もいない。超能力者同士の付き合いもない。私にあるのは、キカイくんだけだ。
それは、『カワサキW650』と言う。あとは、ガンくんだけだ。酷いブラックジョークだろう。
でも、湯治ツーリング帰りの私は、ばるんばるんに元気だ。ばるんばるんに元気とは何だ。と、言われても私にはわからない。指が勝手に動いただけだ。とにかく、ばるんばるんなのだ。それでいいではないか。

うろ覚えで『アキラ』を語ってしまった。もう、数十年読んでいない。私の記憶はあっていただろうか。Kindleを覗いて見た。電子書籍化はしていないのか。もう、電子書籍以外、買わないことに決めたのだ。断捨離というやつだ。『ナウシカ』もないのか。しかし、『ねじ式』はあった。つげ義春がKindleにあって、なぜ、『アキラ』と『ナウシカ』がないのだ。

これは、死に待ちか。すべての電子書籍担当者は恥ずかしくないのか。絶対、死に待ちだろう。宮崎駿と大友克洋を誰も説得出来ないのか。もう一度言う。死に待ちだろう。死後、数年。もしくは数ヶ月で電子書籍化するつもりなのだろう。嘆かわしい。ダルくてダサいぜ。担当者。「このデコスケ野郎」め。もしくは「このデコスケ女子」め。

それと、『ねじ式』の腕をずっと押さえているあいつにも、私は似てきたような気がする。『ねじ式』も、もう我が家にはない。ポチるか。ばるんばるんの元気な私が、一気にけだるくなりそうだ。


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