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『真夏。休薬期間中。157日目』

さて、今日は再血液検査と胃カメラ検査がある。これで、入院と手術日程が決まるはずだ。

私は、昨年の盲腸癌の手術が終わった時に、色々調べてみた。その結果、余命はあと五年くらいだろう、と思っていた。盲腸癌及び大腸癌の再発を懸念していた。
それが、今年の三月に肝臓に癌の転移が確認された。ステージ4、余命は、「平均すると二年半というところです」、そんな言葉を主治医から頂戴している。一気に余命(死神)にまくられた。その後の、5クールの抗がん剤治療はキツかった。5クールの間中、ほぼ『腹下り』だったのだから。私はなんど漏らしたことだろう。おそらく、手術後には、また、抗がん剤治療生活に戻るのだろう。一日の排便(水便)が二十回を超える生活が待っている。

再発と転移の可能性を残しながらの暮らしは、『腹下り』がなければどうという事もない。下痢止めの種類を変更してもらうつもりだ。それが効かなければ私の尻は破綻してゆく。下痢とともに去りぬ。そうはなりたくない。
手術前に手術後のことをアレコレ考えてもしかたがないのは、わかっている。でも、なにかよい方法を考えださなければならない。 

今日は、九時、11時に血液検査、胃カメラ検査がある。終わったら、いったん家に帰って十五時に主治医からもろもろ説明がある。

久しぶりの雨歩きなので、ブーツを履いている。とても気分がいい。染めQのモスグリーンが成功したように見える。後は、バイクで走ってどうなるかだ。

なかなかいい発色だ。もともとは茶色なのだ。

病気のはなしにもどろう。私の記憶では昨年の胃カメラ検査は鼻から挿入したはずなのだ。けれど、今回は口からだった。おそらくコレは私の記憶違いだ。昨年も口からだったに違いない。人間の記憶なんて曖昧なもので、簡単に記憶の改ざんが起こるのだろう。人間なんてそんなものだ。

なななんと、ここに来て入院、手術が中止になった。とある肝臓の数値が手術ができる範囲内を超えていた。手術ができる上限の倍だ。このまま手術をすると、そのまま死ぬ可能性があるらしい。若しくは、そのまま入院暮らし。家にも帰れず、終末病棟ゆき。複数の先生で検討した結果、抗がん剤を変えて様子を見る事になった。肝臓の解毒作用が追いついていないのかも知れないという。もともと、体質的に高いのか、抗がん剤の影響で高いのか、それも、まだわからない。新しい抗がん剤で化学療法をするクールな每日にもどる。三種類目の抗がん剤になる。一種類目の抗がん剤の副作用は『頭』、二種類目の副作用は『腹』、さて、三種類目の抗がん剤の副作用はなんなのだ。どんとこい。

おお、とある女性タレントが乳癌になって泣いている。私とは比べるべくもなく、失うものが多いのだろう。同情しよう。

さて、私は死んでなにを失うのだ。と、私は私に問う。私にはどう考えても失うものがない。もともとなにもない。私のまわりにあるものはすべて雲だ。見るもの聴くもの触れるもの、ぜんぶ雲だ。そんなふうに思っている。ただ、私ともども風にふかれてながれてゆくだけだ。
私のこれまでの人生がうすっぺらすぎたせいだろう。どこかで、私は怒涛の癌生活を楽しんでいるところがある。がんをかわいがり、がんをおためごかし、がんと戯れている。そんな私はきっと異常だ。滅多にいない種類の者だ。noteがなければこんな独白もなかっただろう。私はがんという初めてのスリルをくちゃくちゃ噛みながらしぶとく味わっている。
雲の上で。

明日から新章に入ろう。

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