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『ぽっかり』

私はnoteで『空生講徒然雲』(くそこうつれづれくも、くそこうツーリング)という、タイトルの読み方すら、決めかねている小説を書いている。ざっくりいうと、オートバイで電線の上を走るだけの物語だ。登場するのは、ほぼ、男と女と青猫とオートバイが2台だけだ。

最初と結末は頭のなかにあった。その間の物語がぽっかりあいた状態で書きはじめた。とうとう、その、ぽっかりの手前までは辿り着いた。そして、ぽっかりから逃げるように、ちまちまエッセイを書いている。ぽっかりはひとつやふたつの空洞ではない。
一晩考えた。ひとつのぽっかりはなんとかなりそうな目処がついた。これからぽっかりの穴埋めをしなくてはならない。

この私が書いている小説はルック(文体、リズム)が整っていない。最近やっと整い出したくらいだ(まったく遅い)。その整いだしたルックに最後の最後でぜんぶ統一して編集すればいいじゃないかと、半ば開き直って書いている。例えば、『』がついていたり、なかったりとか。数えあげればキリがない。とくに私は『ひらがな』がすきで、ひらがなと漢字の区別で混乱している。まったく、ルックが整っていない。

私は、小説の草稿を公開しているようなものだ。草稿状態の小説を人様に見せながら書くという。不思議なことをしている。

けれど、草稿並みの小説から逃げるようにエッセイを書いている『効果』もある。エッセイで閃いた言葉を書きかかけの小説に挿入できる。『鬱々不安頭』という一時期の私の症状を『鬱々不安骸骨』として、登場させようと思う。たぶん。
そんな、詩とエッセイと小説が絡み合う混沌を楽しんでいただけたら幸いです。

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