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エッセイのほう

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野蛮で図々しくてくだらないことを書いています。400字~2000字くらいでしょうか。
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2023年12月の記事一覧

『十二支獣』

それは見るからに神獣といってよかった 皮膚は寅のように黄で 龍のような尾は海を越えて長く 羽ばたく姿は鳥そのもの 右耳はうさぎのようにぴんとしているし まるい左の耳はねずみ色 雲沸き立つ毛は羊 赤い舌は艶めかしくちろちろ出入りする蛇 猪の牙は逞しく 犬の要素はおそらく鼻で 頬は猿のように赤い 空を駆けるさまは馬のように忙しい その体躯は牛の鎧だった 「十二支獣だぁ」 十二支獣が空でじたばたしている。そう見えるのは気のせいで、じたばたしている部分は残像だった。 或いは、神の

『12時18分』

12時18分に目が覚める予定であった。 お雑煮の匂いがした。或いは、昆布巻きの匂いがした。醤油ベースの汁にだしの効いた、年の瀬らしい料理が生まれているようだった。私は、謎の時計職人で、謎の文字を作っていた。12時18分まで粘って『謎時計』を完成する予定を立てていた私の心は挫かれた。 12時18分には何の意味もない。そこから動く予定もない。それが『謎時計』のよいところだった。急かされることがない。待たされることもない。12時18分の世界があるだけだ。 安心していい。12時1

『お礼参り』

今年最後のツーリングか。 苔むす、三夜沢赤城神社にお礼参り。 木の鳥居をくぐり玉石を踏む。石段を上り手を合わせた。 丁度、赤城山に向かってお参りをする格好になる。 神楽舞台の扉は閉め切ったまま。 中からは笛と太鼓の音が。 関東平野の北の縁。雪が降れば路面は凍結して、バイクでは来れない。 社のすぐ背中には屹立した赤城山。 私の心のベストテン神社。 何位だろうか。不敬だ。

『大掃除の暇つぶし』

大掃除の暇つぶしに赤城山を。やや、くもりだ。 山懐に抱かれながら育つと、脳裏にべったりと山容がこびりついて離れないので、いつでもなんとなく赤城山が描ける。 あくまで、なんとなくの赤城山ですが。 東京で育てば、高尾山が描けるだろう。とは、ならないだろう。 東京者は『中央線』や『山手線』の電車が描けるのだろう。 今日は餅をつく。『力もち』君で、つく。 たしか、そのような名称の機械だった。 今シーズン初お目見えだ。 さ、掃除、掃除。 暇つぶしではない。逃避だったな。

『白蛇』

年が明ければ、辰年なので龍を描こうとしたら白蛇になりました。 よくある事です。縁起がいいですね。 偶然性に頼っているので二度と描けませんが。 じたばたしてもがいていると人間はなにかをうみます。 我ながら偶然をよくつかみました。 文章でもそういうときがあります。身体にまかせて書くかんじが。 昔だったら、百枚くらいの紙と絵の具を無駄に消費して偶然たどり着く表現が、僅かな電力消費でうまれる。 いい時代になりました。

『どよん納め』

たまに、どよんとする私がいる。 もう、日付も変わろうとする時間だ。まず、プリンを食べて『どよん』から脱する事ができるのかを、試した。すこし晴れた。 プリンの効果は限定的だった。 まだ、どよんとしているので、パソコンを開いて見た。 私の頭の中の『どよん会』 或いは、私の腹の『どよん塊』 私に憑いている『どよん怪』 今日はなにも書かずに眠るつもりだった私を起こした『どよん』との対話を私はしている。『どよん納め』です。 これもまた、私の作品です。 私も、また、『どよん』の作品で

『月の青猫』

黄色い頬っ被りをした青猫は跳躍した。 打ち上げ花火が上がるような急上昇だった。 夜陰に混じり易い青色と ネオンと月に混じり易い黄色の頬っ被りとマフラー。 夜陰と月の迷彩で月泥棒に向かう青猫がいた。 作戦の実行も立案も青猫だ。 青猫がなにを賭しているのかは不明だ。 月面に接近する青猫は尻尾で器用にホバリングしていた。 「とう」と青猫は月面に立った。 青猫は武者震いをしていた。嫌、武者猫震いをしていた。 嫌、嫌。雌武者猫震いをしていたのだ。 爪を掻け、尻尾をしならせて一刀両断に月

バイクでひとっ走り。かぜはない。冬の日の長い陰の補正があり、メタボには見えない。モグラの穴がたくさんありました。

『壊れ年』

掃除機も壊れた。『も』なのだ。『が』ではない。 今年は私にとっていったいなんなのだろうか。色々壊れすぎている。たびたびエッセイでも触れているのだが。夏に腹が壊れた。秋に頭が壊れた。晩秋に温水洗浄便座が壊れた。初冬に石油ストーブが壊れた。ついでに、電気沸騰ポットを買い換えた。これで、終いではなかった。 今日、コードレス掃除機のバッテリーが静かに「すうん」と息をひきとった。一日中充電しても、10秒しか息を吸わない。どうしてそんなにわがままな掃除機になってしまったのだ。まだ、3年

『ぬく中です』

私は先ほど今年度初の『タイツ履き寝』を決意しました。 迷いに迷いました。この見極めに間違うと、汗だくで朝を迎える事になるからです。また、一度味わった『ぬくぬく感』は用意には手放せない。春まで、ぬくぬくを求め続ける人間になってしまう。ぬくぬく中毒、『ぬく中』になってしまうからです。 「どこ中(学校)ですか?」と尋ねられたら「ぬく中です」と答えなければならない。これから、ぬくぬくタイツを履くのがあたりまえの軟弱な世界が始まるのだ。 ついにその時が来た。私はかなりぶ厚めのタイツを

『今年の写真』

今年の写真です。 夏の写真が見事にありません。病気になり、入院していましたからね。 病気しながらツーリングにも行っていたのですが、写真を撮る心の余裕はなかったようです。それを、今、気づきました。「たいへんな夏だったようですね」と、私は私を慰めているところです。 私が思う私の心理では『盲腸がん』なんて、へいちゃらだぜって感じだったのです。手術明けに、キャンプツーリングにも行ったのです。でも、写真はない。 神社仏閣の写真はたくさんありました。 いつだって、平然と「なるようにな

『赤い手』

赤い花を描こうとしたら、赤い手になった。 その隙間から目が開かれたので、このままで良しとした。 偶然性に頼らないといけないところが、情けない。この手は右なのか左なのかもわからない。それによって解釈が変わる。この手は2本かもしれない。やけに指がながいしね。下からの手と上からの手だ。 つじつまは、別に要らないか。またへんなものを描いてしまった。 誰の目だろう。見たことはない。わからない。私の赤い花はどこへいってしまったのだ。青い花がなかなか良かったので、赤い花も描けていいはずだ

『起き抜けの夢の残り火』

「ざっくばらんに、らばんばばんば、ばんばらばんばら、ざっくばらんに、ざっくざっく」 突然のプレゼントだった。起き抜けの夢の残り火はこんな言葉を私にくれた。ほんの一瞬スモーキーな香りが枕元でした。「垂らしたか」、昨晩ラジオを聴きながら呑んでいた私と夢の共作のような言葉の連なりは、ラテンの香りと日本昔話のちゃんぽんであり、カクテルだった。 わけのわからない、素敵な言葉の連なりをありがとう。夢の翻訳者でもない私には夢の中身を想像するほか手がないが。わずかな創造を一垂らし。マドラー

青猫と夜の古墳。古代火が、あたりいちめんを照らしていました。青猫は嵌まりながら暖をとっているようでした。