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緊急レポート けんけんの東欧見聞録① ウクライナ編 ~日常と戦争の狭間で~

■はじめに

 はじめまして、かわさき若者会議の中野絢斗(なかの・けんと)と申します。一般財団法人日本青年館さまのご厚意で、今回寄稿させていただく機会を頂戴しました。あらためて感謝申し上げます。
 2022年の今、ロシア軍がウクライナに軍事侵攻し、世界全体に激震が走っています。私は学生時代からずっと、日本とロシア、ウクライナ、ベラルーシなど東欧諸国とのより良い未来をめざし、活動をしてきました。
 そんな自分の想いとは裏腹に、大好きな国が大好きな国を侵略し、また多くの友人知人が現地で困難な生活を強いられています。日本国内においても、僕の大好きな国々がネガティブなイメージで広まり、誤った先入観を持たれるようになってしまいました。本当に悲しい限りです。
 どうにか、僕の大好きな国々を、大好きな日常の景色を、大好きな方々のその暮らしを、少しでも多くの方々に知ってもらいたい。そのように考えていたところ、ちょうどこのような絶好の機会をいただけました。本稿ではウクライナやロシア、ベラルーシの「日常」を、その魅力を伝えていけたらと思っています。その第一弾として、今回は「ウクライナ」をご紹介します。

1, 歴史の都・キーウ

 ウクライナですが、「名前はなんとなく聞いたことがあったけど、今回の事件で初めてちゃんと知った」という方も多いのではないでしょうか。
 国旗はこちら。上部の青色が「青空」、下部が「黄金の小麦畑」を表しているそう。ちなみに国歌は「ウクライナは滅びず」という名前です。

1国旗

 首都はキーウ(ロシア語表記:キエフ)。悠久の歴史と文化が薫る街でありながら、洗練された都市の一面も持っています。

2ウクライナの街並み

 ちなみにこの写真を撮影した場所は、新しくできた「ガラス橋」。なんと足元が透明なガラスになっています!開業初日、人が多すぎてガラスが割れたなんていう話も…。高所恐怖症の自分は怖すぎて立ち往生していたところ、見かねたウクライナ人の優しいおばあさまが手を繋いで歩いてくださいました。

3ガラス橋


 キーウといったら外せないのは、「聖ソフィア大聖堂」。日本の平安時代にあたる、1037年に建立されました。これまで何度も戦争の被害を受けては修復され、直近では1930年代にソビエト政府によって取り壊される計画もありました。多くの戦争や苦難を乗り越えて、今もウクライナだけでなく東欧全域に祈りを届けています。

4聖ソフィア大聖堂


 こちらは「キーウ大学」。校舎が真っ赤すぎて印象的です。赤色になった理由は諸説あるそうですが、かつて戦争や徴兵に反対した学生たちへの罰として、ロシア皇帝ニコライ1世が「血の色」に塗るよう命じたとか…。

5キーウ大学


 ウクライナの有名お菓子メーカー「ROSHEN」。実はオーナーは元大統領で、「チョコレート王」の異名を持っています。日本でもネット通販で買えるそう。安くて美味しくて、留学中は(本当に)毎日食べていました。

画像5

 実はキーウには、日本のラーメン店「麺屋武蔵」も進出しています。ウクライナの地で食べるラーメンは絶品でした。

7ラーメン

 こちらはペリメニ。水餃子のようなロシア料理です。ウクライナ国旗のカラーをしていたので、ついつい頼んでしまいました。

8餃子


 キーウで最後にご紹介したいのは、「独立広場」。キーウの長い歩みのなかで、常にその中心地であり続けました。

10独立広場

 一方で時代の流れに翻弄された場でもあり、「ソビエト広場」「カリーニン広場」「十月革命広場」など名称は様々に変遷しています。2004年に「オレンジ革命」、2014年にも「マイダン革命」と呼ばれる、市民たちが政府に抗議する活動が起こった地でもあり、今でもウクライナを象徴する広場です。

2,青が交わる街、港湾都市・オデーサ

 続いてご紹介する都市は、南部の都市・オデーサ(ロシア語表記:オデッサ)。黒海に面したリゾート地で、「黒海の真珠」という異名で知られています。

11オデッサ

 なかには愛犬と泳ぐ方の姿も…。このあと、実は一緒に泳がせてもらいました。

12犬と泳ぐ

 こちらは「ポチョムキンの階段」。オデーサを代表する巨大階段です。正式名称は全く違うのですが、1925年の映画「戦艦ポチョムキン」で有名になったことからこの名前がつきました。

13ポチョムキンの階段

 階段を見上げる人には踊り場が見えなくて、見下す人には踊り場“しか”見えないという、ユニークな設計でできています。作られたのはなんと1841年。もともと「怪物のような階段」を作ろうとして完成したらしいです。

14階段

 こちらは、東欧や中央アジアなどで広く飲まれている「クヴァス」。ライ麦と麦芽を発酵させて作られる飲み物で、広く愛されています。数百種類の味があるとか。ただ、初めて飲む日本人は苦手な方が多いイメージです…。

15クヴァス

 こちらは「ボルシチ」。「ボルシチってロシア料理じゃない?」と思われた方も多いかもしれませんが、実はウクライナ発祥だといわれています。今では世界中で広く愛されていますが、地域やお店によって味もさまざま。どれも美味しいですけどね!

16ボルシチ

3,苦難と悲劇を乗り越えて

 ウクライナは、実は多くの苦難や悲劇を乗り越えてきた国でもあります。明るくて楽しい一面だけを紹介するのではなく、そういった歴史も含めて全てがウクライナなので、ここでは少しそのご紹介を。

 上記で紹介したキーウとオデーサは、実は「英雄都市」という称号を持っています。これは第二次世界大戦の際に、ドイツ軍の侵略に対して激しい抵抗をした旧ソビエト連邦の都市に与えられたものです。

17無名水平の記念碑

 ウクライナはこれまで、何度も激しい戦争の舞台となってきました。第二次世界大戦では、ソビエト軍に参加したウクライナ人と、ドイツ軍に参加したウクライナ人とで衝突することさえあったそうです。
 1932年には、「ホロドモール」と呼ばれる人工的な大飢饉の舞台となりました。当時のソビエト政府によって強制的に農作物や家畜が収奪され、一説では1,000万人を超える餓死者が出たとも言われています。
 1986年には、チェルノブイリ原発事故が発生しました。放射能汚染によって人が居住できない地域が広がり、ウクライナ国内だけで74の村が消滅したと言われています。

18ぬいぐるみ

 余談ですが、30年後に福島第一原発事故が発生した日本に対し、ウクライナの方々は常に連帯を示してくださっています。首都キーウにある国立チェルノブイリ博物館は、被災地の平和を祈り、福島のいまを発信しています。

19チェルノブイリ

 このような大きな苦難や悲劇を何度も乗り越え、今のウクライナが創られてこられました。美しい自然や街並み、悠久の歴史や文化、そして何より未来に前向きなウクライナの方々がいる限り、まさに国歌の名前の通り「ウクライナは滅びず」だと私は信じています。

4, 最後に

 ウクライナの魅力が少しでも伝わったでしょうか。でも、本当はもっともっとご紹介したい街がたくさんあります。工業都市・ハルキウや文化都市・リヴィウなど、本当に魅力的な街と、そして魅力的な人々ばかりです。
ぜひ一度、皆さんご自身でウクライナの地に足をお運びいただきたいなと心から思います。本稿がそのきっかけとして、一助となれば幸いです。
 最後になりますが、こちらはウクライナ国内の移動中に思わず撮影した写真です。冒頭に国旗を紹介しましたが、あのデザインも納得のいく、本当に美しい景色でした(小麦畑ではないですが…)。

00景色

一刻も早く、ウクライナに平和と日常が戻ることを祈ります。

■筆者紹介:中野絢斗(なかの・けんと)
 1997年、神奈川県生まれ。日本とウクライナ、ロシア、ベラルーシの真の友好関係をめざして活動中。2019年にベラルーシ国立大学国際関係学部に留学。そのほか、2018年度日露学生交流事業学生総代表、北方四島交流事業訪問団、北方領土問題対策協会学生研究会代表、早稲田大学東欧同好会代表などを歴任。

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