#5 ホテル暮らしの日記:哲学

ホテル暮らしをしていて、圧倒的に1人の時間が増えた。

異郷の地でたった1人。休みの日なんかは街をずっと歩き回って、虫を観察したり人の往来を見つめたりしている。なんだか、小学生の頃に戻ったような気分がする。

あの頃はそれぞれに宇宙があった。

ある友人は漫画を毎日書いていた。朝、みんなが登校すると、彼の周りに3人くらいの人が集まる。そして毎日1話ずつ彼がストーリーを進めていくのだ。

別にたいしたストーリーじゃない。ドラゴンボールを模したバトル漫画なんだが、彼の突飛なアイデアとライブ感が楽しくて、みんなでケラケラ笑っていたのを覚えている。私はファンだった。

ある友人はあやとりが得意だった。指をゴニョゴニョ動かすだけで、あらゆるものが完成されていくプロセスは実に鮮やかだった。

あいつは、○○の人。あいつは、○○の人。

その分類が多種多様で、自由で、縛りがなかったように感じる。

小学生高学年になるにつれ、趣味は同調の道具に、あるいは集団を形成する口実になり始める。

次第にそれが常態化すると、好きと感じる対象に制限がかかってくる。

大人なのに、男なのに、女なのに、など。同調や集団形成において邪魔になるため、あるいは、経済的な意味合いや意義に囚われて、非合理な行動はしがたくなる。

自分を見失うとは、この状態だと私は考えている。人は利害損得なしにものを考えられなくなると、色がなくなるのだ。

私の場合は24年間という、地球規模で考えたらあまりに矮小な期間に構成された未熟な意識において「理論が通っていて、有利/得になること」を行動の指針にするのは、あまりに心許ないような気がしてしまう。それで実際に利益や得が手に入るかどうかも疑わしいし、できたとしても手応えがない。「理論が通っているんだから、そりゃあそうだろう」というような気持ちになって楽しくない。テストでも解いてるみたいで退屈だ。

理論に支配され過ぎず、ある程度の距離を保ちながら上手くやっていきたいものだ。

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