#17 ホテル暮らしの日記 : 男と弱さ

人間はみんなが、美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の者もいる。メソメソした心の持ち主もいる…けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら、一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ
遠藤周作(小説家 1923年〜1996年)

「男」として生きる上で宿命づけられた「弱さへのコンプレックス」というのがあると思う。
(女性にはまた別の悩みがあるだろうが)

うつ病を例に出すとすると、女性のうつ病患者は男性の約2倍だが、うつ病によって死を選ぶこととなる男性の数は女性の約2倍だ。
「男」は、弱さを受け入れることがどうしても難しいいきものであるということは明白だろう。これは男性の精神性の問題だけではなく、社会構造によって生じる事象とも言える。

弱い女性は、男性にとって魅力的に映ることがしばしばだ。
なぜなら、弱い女性を守るということは、自らの強さの証明になるからだ。

しかし弱い男性はどうだろう。同性からは格下とみなされ、異性からは魅力のない個体としてみなされる。

中には弱い男性に惹かれる女性もいるが、それは“普段強くて逞しい男性”が自分だけに見せる弱さに惹かれているか、あるいは皆が弱いと思っている男性の中に、自分だけが見出していると思える才能や強みのようなものがあるから惹かれているのであって、弱さそのものや、弱い男性を守ることによって自らの強さを証明するという動機には基づいていないだろうというのが、私の考えだ。

だから「男」として生きるには、強くなくてはならない。
ぱっと見強そうでなくても、その中に光る何かを持ち合わせてなければいけない。
でも一個人の中には、弱さなんてものは無数にある。
そういうものを忌避して、他人からひた隠しにして、どうにかプライドを保って立っていようというのは、弱さへのコンプレックスに他ならないじゃないか。

翻って自分の話になるが、私は昔から体が大きくて、一見冷静であまり動揺もしないように見せることができて、頭が悪すぎるということもないと思う。
ただ、その自信とは裏腹に弱さも常に抱えていて、そこにコンプレックスがある。
何か強い「ものいい」をされれば、(あっ)と萎縮して即座に言い返すことができなくなってしまうし、相手から手を出されるまで暴力を働くこともできない。そんな自分の気の弱さが大嫌いで情けなくて、どうにか目を逸らしたり、克服してみようとしてもがいているのが実情だ。

幼稚園の頃に、私と両思いの女性がいた(おませさんなので初恋は幼稚園だし、当時のことはある程度覚えている(照))。
彼女が私に惹かれた理由は「男らしいから」だった。
今思えば、私はもうその頃から「男というのは強くなくてはならない」という縛りを自らに課し始めていたように思う。
実際、私の“そういう部分”に惹かれた女性たちが私の弱さを知ったとしたら、それでも一緒にいることを選んだだろうか。
この疑惑さえ、一つの弱さの証明にすぎない。

きっとこの闘争は生涯つづくものなのではないか。
それを分かっていてもなお生きようと思えるのは、自分の中で唯一確信できる「強さ」かもしれない。


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