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あなたの憤りと嘆きを想像するために必要なこと。

想像力を育てるには経験と観察力、そして「ただ聞くことと、そしておにぎり」なのかもしれません。

私、珍しく、朝ドラ「虎に翼」にハマっています。あれだけテレビ嫌い、ドラマ嫌い、って言ってた自分が。ウケます。

このドラマに関しては非常にいろいろな視点があるのですが、7月24日の回である女子高生の話がありました。

彼女はとても恵まれてる環境にあるはずなのに闇の顔があるっていう設定でした。主人公の寅子はなぜ、彼女に闇の顔があるのかがわからないようでした。他の大人もそんな感じ。

ここで私思ったんですよ。想像力と余裕って大事だなって。
「むしゃくしゃしてるからやった。後悔はしていない」というセリフは日本のネットミームの代表作の一つでもありましたが(これ元ネタって「2008年に大阪市で発生した無差別殺人事件の際、逮捕された容疑者が警察の取り調べに対して発言したとされる言葉」とChatGPTさんが教えてくれました)この人の憤りや怒りに全て道理的な理由があるっていう考えがそもそも甘いのかもしれません。
だって理由を決められたら解決策を仮定できちゃいますもんね。勝手に決めれられた方からしたら迷惑極まりない。

人はなぜ憤りを感じるのか、なぜ嘆くのか。そしてその人がその理由を言語化できたとしても「え?そんなことで?」と言われることも然り。

振り返ってみます。未成年の子育て中の自分を振り返ると「なぜあんなことを嘆いていたのか」と思うことがとても多いです。でも、それは今自分が未成年の子育てがなんとか終了したから言えることでもあります。自分を整えるために必要と説明もできるし効果も期待できる、そしてそこまで影響があるわけでもないのに「これを買わなければ家庭のために〇〇が買えるのに」と思い悩むことってあるあるでした。
先日とても信頼してる男性の先輩とお話する機会があったのですがその方にこの「自分への投資がどんなに正当化できても家族(というか世間?)に対して罪悪感を感じることがある」という気持ちを話したら「それは想像できない点だったよ」と話してくださってこちらも大きな気づきを頂きました。

今、自分に余裕を感じる私ですらそう思うのだから、全世界そう思う人って絶対多数派じゃないかって思うんですよね。

じゃあ今、私が何ができるのかって言ったらそのように思い悩んでる人にお金を配るってことは私には出来ないわけで(かつてお金配りってありましたねえ)。私ができることって「あなたが憤り嘆いてる様そのものに悩む必要なんてない。みんな憤ってたしみんな悩んでた」って話してその人が話したい話をただ聞いて、そしておにぎりを渡すことくらいだと思うんです。

もちろん話したくなかったらおにぎり渡すだけでもいい。おにぎりじゃなくてもいい。ケーキでもいい(私の大同電鍋で作るケーキ美味しいのよ)。
解決策を上から提案するだけでなく、まず聞く。そして自分の想いを話す。そしてお腹を満たす。これが「寄り添い」なのではと私は思うんです。


そしてその寄り添いって自分に余裕がないと思いつかないってことも最近すごくわかります。正直子供が小さかった時、コロナで閉じ込められてた時、子供が受験生だった時。振り返ってみると余裕なんでどこにもなかった。

だから今、自分に余裕を感じる今だからこそ、強い憤りを他人にぶつける人を観察したい気持ちがあります。その人がなぜ余裕がないのかを想像したいんです。でもこれって今、余裕があるからできること。私も母が倒れたり、自分に癌が再発したりして余裕がなくなればきっと想像の時間すら持てないと思います。そしてその憤りを受け止める余裕が今の自分にないって思ったら距離を取る。そこから考えるだっていいと思うんです。


だから。


余裕があると自分で感じる時だからこそ自分の多くの経験を振り返り、周囲を観察し、人の話を聞き、そしておにぎりを配りたいですね。そこからできることを探したい。それが私が出来るシスターフッド。より多くの人が自分に自由を感じるために。


私の理想は自由になった梅子さんなのかもしれません。