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りりこはどうしてこうなった?岡崎京子「ヘルタースケルター」

女が女を騙すというのは何とも味の悪い事だなあと思う。男が女を騙すのもLGBTQでもそりゃ全部アレだけど、同性なのにそりゃ無いんじゃないのっていう何とも言えない心地。べつに男は男同士で喧嘩したりマウント取り合うのがよくあることだと思うのに、「マウント女子」とか「女の敵は女」なんて言葉がわざわざあるのは、本来女同士っていうのは仲良くするのが当たり前みたいな固定概念があるせいなんじゃないかと思う。

昔、エステの勧誘のアルバイトをしたことのある人の話を聞いたことがある。その人は胸糞悪い気持ちになってすぐに辞めてしまったが、当時二十代でギャルっぽい見た目の彼女はすぐに採用された。いざ出勤して他の先輩方の仕事を見ると、渋谷かなんかの駅前で地味な女の子に声をかけ、友達みたいに親し気に会話しながら事務所に連れ込んで勧誘するんだそう。私もそれを聞いておどろいたけど、はなやかな見た目のおねーさんに友達みたいな接し方をされて地味な女の子は舞い上がってしまうらしい。派手なお姉さんに今度一緒に買い物行こうねーとか言われて喜んでる地味女子を見ていたら、なんだかいたたまれなくなって辞めたと言っていた。

言われると私も高校生の頃、初めて行った原宿のショップ店員にすごくお似合いですよと言われて、舞い上がって買います、と言ってしまったことがある。似合ってないのわかってるのに。買います、と言った瞬間に「え、マジで買うんかい」みたいな顔されたのをよく覚えてる。引くに引けないので買ったけど。

友達ヅラして金引っ張ろうとする奴というのは大人になるための登竜門的に存在するのかも知れぬ。また人を騙すような事をするのは嫌だなぁと感じるかどうかは良心の問題で、そこは性別や国籍やイデオロギーも社会的地位も関係なく、ただただ人としての問題だと思う。貧困の問題だけは、少しだけあるかも知れない。


漫画ヘルタースケルターのりりこは、元デブ専風俗嬢だが芸能事務所の女性社長にスカウトされ全身整形をして芸能人になる。社長をママと呼ぶほどりりこも懐いているが、約束通りに実家への仕送りがなされていない。その事を社長に詰め寄っても何故か言いくるめられてしまう。


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私は私のものなのよ、と、こんなにも意志の強いりりこなのに、ママにあなたは私の夢だとか言われると頭がぼんやりしてしまうらしい。りりこは風俗で働いていた時のことも、生まれて初めてちやほやされてちょっとうれしかったなどと邂逅していて、どうやら他者から持ち上げられると頭がぼんやりしてしまうたちらしい。

先日の記事に書いた映画を観ていたら何故かこの漫画が思い出されたのでこれを書いている。映画の内容を詳細に書くとネタバレになるので書きたくない。とても面白い映画で展開に驚かされたので、まだ観て居ない人には私と同じ興奮を味わって貰いたい。

しかし何故ヘルタースケルターを連想したか、例えば身分違いの恋、みたいな話も出てくる。

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「僕のような人間が君のような人間と結婚できるわけがない」

読んだ当時はまあそういうものなのかもねと流していたが、格差社会とか上級国民とかいう言葉が踊るのをみたあとの現代においては、重みを持って受け止めてしまった。しかし当時も今も、このシーンを見ても悲しみを感じないのは変わらない。りりこにとって彼はご自慢の王子様なのだが、内心は甘っちょろいおぼっちゃまだとバカにしているし、たいして彼の事が好きそうにも見えないからだ。今風に言えばバエるためだけの彼氏で心がないから、彼に結婚して貰えなくてもまあお互いさまじゃないかと思う。

映画「ゴーンガール」を見た時にも思ったけど、サイコ女が男にぞんざいに扱われていても、さして同情心を感じないんだよな。

そういえばヘルタースケルターは蜷川実花監督によって映画化もされているが、あれはひどい映画だった。あれを最後に私は蜷川実花の映画は見ないことにしている。


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