目を見て話すということ

目を見て話すって、簡単なようでそうでもないと思いませんか?目って二つあるし、どっちの目?なんて思ったりして。

当然自分にも目は二つあるわけですが、何かを見る時は二つで同時に一箇所を見ますよね?ということは、相手の目だって二つを同時には見れないと思うのです。

そんなことを考え出すと、訳が分からなくなってきます。まるで、呼吸を意識した途端、意識しないと息ができなくなるような気がするのと同じ感じ、とでも言いましょうか。

ワタクシ、ここ何年も気持ちばかりが急いていて、すべてがおざなりモードだったのですが、そんな風に生きていますと立ち止まって相手の目を見て話をする、なんてことも知らず知らずのうちに出来なくなってくるんですね。

こりゃいかん、と思い直してたまに相手の目をジッと見てみたりするんですが、今度は気合いが入りすぎているのか相手のほうが居心地悪そう(汗)加減が分かりません。

でも最近気づきました。やっぱり、絶対目を見たほうがいいってことに(当然だ⁉)

なにがキッカケかと言いますと、夫婦で意見が食い違った時のことです。今までちゃんと人の目を見ずに、自分の意見もゴニョゴニョっと下とか向きながら言ってた私なので、夫にもそうしていました。でもある時、ちょっとドキドキしましたが、試しにまっすぐ夫の顔を見て言ってみたんです。意見を。しかもちょっと言いにくい類のやつ。

そしたら、彼はあっさり納得。というか黙った(笑)やっぱり目って、力があるんだなーってその時思いました。こんな私にでもあったんですから。

それもたまたまじゃないのですよ。以来何度もトライして検証してみたんです。もちろん言い返されて平行線、ということもあります。でも、今まで言いくるめられていた(外人さんに日本語で…)感があったのですが、対等に渡り合えているという手応えが最近はあります。

理由は多分、正面から目を見ると、その向こう側に相手の存在、大げさに言えば魂が感じられるから、なのではないかな?と思っています。

相手がどんな見た目でも、やっぱり目って、「その人の存在そのもの」を一番感じさせませんか?魂の気配のようなものを。それを感じて、何だかぞんざいに扱ってはいけないような気になるのかもしれません。というのが今の私の持論です。

なので自分に自信のない人ほど、話す時は相手の目を見据えたほうが良いです!自信のあるなしなんて、目を見ているかいないかの違いだけじゃないか?とすら最近は思ってます。自信有り気なあの人の言っていることだけが正しいんじゃないのですよ。アナタの感じていることも正しいんですよʕ•̀ω•́ʔ✧

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?