明日も生きているかなんて分からない

夜、家人が寝静まった後、さあ散らかった部屋でも片付けるかと思い、卒業した美大から毎年一回送られてくる冊子を何気なく手に取った。パラパラッと眺めてさっさと捨てようと思ったのだ。ろくに会費も払っていない、しかも大学で学んだことを何一つ生かしていない同窓生にまで毎年律儀にカラー刷りの立派な冊子を送ってくれるなんて、経費はどこからやって来るのか知らないが、大丈夫なんだろうか。といつも思うのだが、送付不要の連絡はなぜだか出せない。

活躍されている人たちの記事なんて眩しいだけだし、そもそも同じ大学の出身者と言ったって、取り上げられているのは大概知らない人たちばかりだ。

なのでほとんどのページをサササーっと読み飛ばす。少しジッと見るのは恩師退任のところ。一番お世話になった教授はすでに亡くなっているし、あとの先生方の名前なんて全然覚えていないんだけど、フルネームと写真が載っているので、アッ、この教授の授業は受けていたよな、とか懐かしく思い出されたりする。

その下にある訃報の欄もぼんやり眺めた。するとごく細かい字で、同級生の名前がそこにあった。

在学中、すごく親しかったわけではないけれど、遠くもない間柄の男の子だった(彼は人懐っこくて、誰とでもすぐに仲良くなった)。卒業後、紆余曲折の末に専業主婦となった私とは対象的に、彼は大手出版社のデザイナーになっていた。有名な作家たちの装丁も多数手がけるという、華々しいキャリアを着実に築いていた。

一度彼とは新宿の世界堂で偶然、再会したことがある。女の子みたいだった顔にヒゲが生え、左手には結婚指輪が光っていたけれども雰囲気は昔のままだった。その後、一度一緒に食事をしたけどそれっきり。あれが今生の別れだったのか、と思う。

大学時代、「この絵、すごくいいんだよ」と言われて強引にムーミンシリーズの本を貸し出されたことなどを思い出す。気が進まなくてどうしても読めず、かなり間を置いてから、「ありがとうー。いい絵だね」とか適当なことを言って返すと、すかさず次の巻がやって来たことも。

全然死にそうにない人だった。穏やかで、仕事は激務だろうけれどもマイペースに長生きするようなタイプだと勝手に思っていた。今も生きているように感じられる。会うことはなくなっても唯一繋がっていたインスタグラムで、彼が最後にいいねを押してくれた痕跡をきりなく見つめる。そんなことをしたって生きてまた会えるわけではないことぐらいは知っている。でも、今はそうするしかない。

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