さっきの話

子供を通学路の途中まで送り届けてさあ帰ろうと思い、駅の辺りを歩いていたら、向こうからやってきたオジサンとぶつかりそうになった。

互いによけようとしても何故か同じ方向によけようとしてしまい、「どっちに行くんだよ!」と、どつかれた。どつかれたと言っても軽くだが、かなーりムカついた。それはこっちのセリフじゃ!!

私よりだいぶ背の小さいオジサンだった。どつき返したら勝てたんじゃないか?とか、いまだにムカムカしながら執念深く考えている。

生きていると嫌な目や理不尽な目には必ず遭うし、生きるのってやっぱり面倒、あーあもう嫌だなあ〜。なんて思ってしまう朝だった。頼んでないのに何で生まれちゃったんだろう。なんて、思春期みたいな不満まで湧いてきたりして。

生まれる前の世界では自らこの世に生まれることを志願し、神様に頼んで生まれてきたとか、親を自分で選んだだとか、スピリチュアルな本ではよく目にする話だけど、もしそうだとしたら頼んだのは私であって私ではない、相当な大馬鹿者だ。こんなへっぽこな人生なんて。

認めたくはないが、「どっちにいくんだよ!」というセリフに私はうっすら傷ついたんだと思う。それは自分がいつも思っていることだから。私はやりたいことが何もない(やりたくないことは沢山あるが)。と同時にそんな自分を心の中で無意識に激しく責めている。何かしなきゃ、「私は〜です。」って言える何かにならなきゃ、といつも考えている。

そしていつもあれかこれか、と気持ちがフラフラしているので視線も動きも定まらない。人ともよくぶつかりそうになる(笑)こんなんじゃいけないっていう焦りばかりが空回りして、もうどうにもならないのだ。何年も何十年も。病気になったって止められない。フラフラとした動きであっても、動くことを止めた時点で終わりな気がするから。

さっきの話が、書いたり消したりしているうちに、さっきの話でなくなった。

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