「自分を大事にする」の意味が分からない

よく「自分を大事にしましょう」と言ったりしますね。私の好きな自己啓発とか、スピリチュアルの本でも盛んに言われております。(自己啓発というとちょっとカタイので今の私の気分とはちょっと違うんですが、何と言っていいか分からないのでそう言っておきます。)

自分を大事にしていないと他人から軽んじられますし、納得のいくところではあるのですが、よく分からない部分もあります。

例えば、家族にご飯を作っていて、出来上がったのでお皿によそうとします。

手が二本しかないということと関係あるのかも知れませんが、私以外の二人分をお皿に盛り付けると、そこで使命完了とばかりに途端にやる気が消失するのです。

うちのキッチンは狭いので、家族三人分のお皿を並べてガーッと盛り付けていくということができません。二人分なら何とかというところ。

二人分盛って二本の手でテーブルに運び、キッチンに戻って来ると、とてもキリがいいというか、そこで終わりにしたいという誘惑が沸き起こってきます。 

更に自分の分を盛るという作業がとても億劫に感じる。そんなことをするくらいなら食べなくていい、とすら思ってしまう。または子供が残したものをちょちょっと食べるのでいいや、とか。

これ、「自分を大事にしましょう」的な視点から見たら、大事にしているのかいないのかが分かりませんね。

盛りたくないという気持ちを優先したという意味では自分を大事にしたと言えるけど、本当にずっと何も食べなかったら生きていけないし、残り物を食べるっていう発想は自分を粗末にしている感じが否めません。

他にも掃除したくないけどしないと気分が悪くなるだとか、似たようなことが色々あります。

自分を大事にするって、本当はどんなことなんでしょう。たとえ「やりたくない」という強い気持ちが沸き起こったとしても、そこはグッと堪えて後々いい気分になれることを選択するということなんでしょうか?

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