感覚の凍結

先日初めてブラックタイガーを料理に使ってみました。プリプリとして、美味しそうだったから。しかし料理の途中、皮を剥いているところで突然、えっ、なんかちょっと気持ち悪い…?と我に返ってしまいギョッとしました。

そこですかさず感覚を凍結。視線は曖昧にタイガーさんのほうに向けつつも、しかとは見つめないように。そして他のことを考えながら、フフフ〜ンと手早く剥いていきました。

剥いている途中通りかかった旦那は、私の手元を見るなりウッという顔をして立ち去っていきました。もともとこういうのが苦手な人なのです。料理されたものは食べるのにね。

なんとか剥き終えると、レシピを見ながらさっさと加熱。こういうのは、火を通すとたいがい大丈夫になるから。

加熱すると、ブラックタイガーはオレンジタイガーになりました。そうだったのか。中華料理店のエビチリとかで出てくるのと同じエビに見える。ブラックタイガーはブラックのままではないんだな。

今回思ったのは、この感覚を凍結する技術があるかないかっていうのが、人の繊細さの度合いを決めているのかなっていうことです。

私は割と早い段階でこのテクニックを身につけました。何か分かんないけどものすごく怒っている親とか、理不尽な要求をしてくる大人を前に、私は感覚を凍結した。何も感じないように。ちょっと余裕があるときは、好きだったファンタジー小説の世界に心を飛ばしたりしていましたね(笑)

こうして感覚を凍結しますと生きやすくはなりますが、他の面においても氷った人間になりがちなので注意が必要かも知れません。褒められたりしてもフーン、喜ぶべきことがあってもフーン、感謝したいのにどこかしらフーン。

こうならないよう、できるだけ我が子には感覚を開き安心して過ごせる子供時代を送ってもらいたいなあと思っています。

ブラックタイガーから話が飛躍し過ぎましたが。

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