とくに理由がないのなら、悲しむ必要なんてない

私、若い頃は悲しがりだったんです。何をしていても取り敢えず悲しい(笑)ディズニーランドに行っても帰りにはもう寂しくてたまらない。「あ〜次はいつ来られるんだろう」「もう二度と来られなかったりして?」などと呟いては、友人に呆れられていました。

日本人の代表的なメンタリティーの一つではありますよね?「切ない」とか「悲しい」という感情。人との出会いは一期一会、一瞬後には別れゆく…(T_T)…

今月なんか、卒業式の季節ではないですか。子供の学校から来たお便りにも、六年生が書いたちょっとセンチメンタルな作文が載っていて、それを読んで涙ぐんでいましたら、夫に「ほら出た!また日本人のセツナイ!!」って言われました。

スウェーデンでは、「学校は嫌なところ、卒業できてバンザイ」なのだそうです。それで、高校の場合、卒業した若者たちはお酒を飲んでどんちゃん騒ぎをするのだとか(向こうでは、18歳から飲酒可です)。日本とは結構な違いですね。

でも、最近は思うんです。とくに深い理由がないのなら、悲しむ必要なんてないんじゃないかと。自分の気持ちをとことん無視してポジティブに!ってことではないですよ。そうじゃなくて、今の所これといって深刻な問題はないけれど、何故かただ悲しいなっていう場合のことです。ありませんか?そういうこと。(何故かっていっても必ず理由はあるものですけどね。人生に対する無常感、とか。)

まあ、なさそうな人はいますけどね。うちの母がそうでした。家族や親戚が、みんなしんみりしている場面で一人だけ「は?何が?」みたいな感じで。我が母ながら異星人かと思いました(笑)でもそれはそれで、今はいいんじゃない?と思うのです。

私も40代、不惑を迎えまして、この先どう生きようが、終わりは誰しも死が待つのみということが、今までよりも少ーしリアルに感じられるようになってきた、ということも関係あるかも知れません。(死って漢字、怖いですね。もっと可愛い漢字にすればいいのに。)

悲しんでたって意味ないなっていう気持ちが、最近だんだん強くなってきました。人生、楽しいと感じる時間が一分でも長い方がお得ですよね。

そういう意味では歌でも本でも映画でも、悲しくもない時にわざわざ悲し気なものに触れたりするのは毒かも知れない。と思い、最近は少し距離を置いています(前に自分で書いてた詩とか、どうなんだろう汗)。悲しいものって美しかったりしますからね。惹かれるところはあるのですが、それはそれで、本当に泣きたい時の薬として取っておいて、普段は心楽しく愉快に生きていけたらと思う今日この頃です。

一日に何か一つでも、好きなことをする予定を入れるのがいいですよ。自分の場合、安易に悲しい方向に気持ちが流れるのは、好きなことをする時間をちゃんと取っていなかったからだ、と気付いたのです(この場合の好きなことは、明るい気持ちになれること限定)。別にお金をかけなくても結構探せばあるんですよね、好きなことって。片付けた部屋を満足気に眺めるとか、コーヒーを淹れて寝そべりながら飲む(どうやって?)…とかね(^^)

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