苦労を選ばない

私の今年の目標を上げるとすれば、「わざわざ苦労を選ばない」っていうことです。すでに一月にしてウッ!と思うような出来事にはいくつか遭遇しておりますが、そこは一応やれることはやってどうにもならなければあとは華麗にスルー、です。今年最初の心配事は健康に関することだったので、スルーしたらどうなるのか少しこわくはありますが、人生は自分を使った人体実験ではないかと最近思っているので、自らが納得できて「良い」と感じる方向を選んで進むまで、ですかね。

今までは割と苦労してナンボと考えるようなところがあったので、相応に楽じゃないことがやって来ていました。とくにその傾向が一番ひどかったのは中学生の時です。私はバレー部の部長だったのですが、顧問の先生がすごくひねくれた感じの人で、様々な無理難題を吹っ掛けてきて、それはそれは大変な日々でした。

後輩が自転車の二人乗りをしていたのだったか、タバコを吸っていたのだったか、何かの問題行動が見つかった時、「それもこれも部長であるお前がしっかりしていないのが悪いんだ!」などと言われて部も練習を禁じられる…という、意味不明な出来事が度々ありました。そんな事してたら強くなれないでないの。ほんと変だったなあ、あの先生。

で、小心者でいい子ちゃんキャラだった私は内心首をかしげながらも、「すみませんでした!」とか言っていつも大人しくその先生の顔色を伺っていたんです。でもあまりにもそういう理不尽なことが度重なるため、ある日ついにブチ切れ先生を無視して帰宅(笑)

すると後ろから部のメンバーが追いかけてきて、「部停とけたってよ!」と言うではないですか。なんじゃこりゃ?って思いましたね。狐につままれたとでも言いましょうか。黙って従うから虐げられるんだな、ということを肌で感じた出来事でした。

その後、私は中3になるタイミングで父の転勤話が持ち上がり、故郷の岩手へと引っ越し転校(これまでの話の舞台は仙台です)。ほんとは直前で転勤が取り消しになり、引っ越さなくても良かったのですが、こんな所これ以上いられるかっ、ペッ‼って感じで無理やり転校しました。もともと持ち家が岩手にあったので出来たということもありますが。

ところで苦労というと「好きなことのために頑張る」というのもありますよね。そういうのは苦労であって苦労ではないわけで、いくらでもしたらいいんじゃないかとは思います。でも私はここのところ、好きなことのためにやっているハズなのに何かがひたすら苦しいということが多かったんです。だから今年はそういうことも含めて自分を見つめ直したいなって思います。見栄のためにやってないか、とかね。

あ、noteを書くことは楽しいです。「楽しい」と「楽」って、同じ字じゃないですか。そこには多分理由がありますよね。と思ってググってみましたら、一発目で何やら「楽しいと楽はイコールではない」「苦労した先にある楽しいだからこそ価値がある」的な話が出てきたのでこわくなってそれ以上読むの止めました。そう考えていれば、多分そういう世界を生きるのでしょう。でも、それだったら修行だけで人生終わっちゃうな。私はあくまで、これからの人生は楽しみたいなって思います。

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