なぜ「完全制覇」を志すと、人は元気ハツラツになるのか?

まもなく50歳になろうというのに元気ハツラツだ。つねに意欲的で、人生や日々の生活に飽くということはない。
これまで離婚2回、事業の失敗は数知れず、被告にも2度、落選も2度経験した。そんな苦境を迎えれば、それなりに落ち込むことはあるが、ほどなく元気を取り戻して、ふたたびチャレンジしようという気持ちが高まってくる。
これは多分に生まれつきの性格という側面もあるだろうが、それだけではなさそうである。それに気づけたのは、高橋御山人師との邂逅がきっかけである。
師は生業としてIT技術者という仕事に就いているが、本職は神主であり、「まつろわぬ民」をはじめとした神話研究家であると言ってはばからない。
そんな師がいま精力的に取り組んでいるのが「全市町村踏破」である。現在、全国には1700余の市町村がある。そのすべての足跡を残そうという旅をつづけている。
過日の小笠原村踏破にあたっては1週間もの日数と約10万円ものカネを投じたと聞く。「それだけのカネと労力をかけて何が得られるの?」――”まともな人“なら、そんな問いが脳裏に浮かぶことだろう。
それを紀行文にして原稿料や印税を得る――そんな計算が見えれば、彼らは納得するのだろうが、御山人師にはそのような目論見はない。みずから設定した目標に向かって元気ハツラツに推進するだけだ。
その異常な姿をみて、常識人たちはさらにとまどうのだが、じつは、御山人師も「見返り」を得ているのである。その見返りとはひと言でいえば、「元気」ということになる。完全制覇を志すことで、人は真に充足した日々を送ることができるのである。
これについては、私にも実体験が豊富にある。25歳のときに、13年越しで「JR全線完全乗車」を達成した。それに到る日々は、いま思い起こしても我が人生至福の時であったし、人生最大の糧ともなっている。
以来、四国八十八箇所霊場巡り、通称「お遍路さん」を踏破。司馬遼太郎、村上春樹、内田康夫、宮脇俊三の全作品を読破してきた。「そんなことをして、どんな意味があるの?」と問われば、私も迷わず「元気ハツラツに生きられるから」と答える。
我が息子も私の血を受け継ぎ、休みとなればスタンプラリーに奔走しているが、彼もそうすることで、日々の元気を充填しているのであろう。
こんにち、鬱病をはじめとしたメンタルの危機が叫ばれるのは、こうした目標が欠落しているからではなかろうか。やらされ仕事でカネを稼ぐだけでは、自分の人生を燃焼させ尽くすことはできない。その不完全燃焼感で、人びとはメンタルを持ち崩すのではないか。
そんな時代だからこそ、「完全制覇」という取り組みは一つの生き方として提起できるのではないだろうか。御山人師と私はそう考えた。これから、「完全制覇」と「元気」という切り口で、それぞれの体験と知見を開陳してみたい。燃焼感が得られずに悩む人たちにとって、これが「完全制覇」人生への手引きとなれば最高である。(塾長)

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