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性被害はうねめまつりの日に|【高橋ユキ】のこちら傍聴席②

 被告人は2018年の夏、父親であるという立場に乗じて、実の娘であるAさん(当時16歳)と性交したとして起訴されていた。実はこの手の裁判では、被告人の氏名や住所は明かされることがない。報道等により、被害者の娘さんが特定されることを防ぐためだ。法廷でも、裁判官たちは「○○被告人」と呼ぶのではなく「被告人」と呼ぶ。近所でこうした事件が起こっていても、分からないだろう。

 さて郡山支部や福島地裁で開かれた裁判で、40代の被告人は否認していた。「かねてより不仲だった娘が意図的に虚偽の被害申告をした」というのである。自分は陥れられたのだという主張だ。対するAさんは、被害を警察に相談した理由を法廷でこう説明した。

 「周りに迷惑をかけたくなかったし、卒業まで我慢すればいいと思ったので、すぐに警察には行かなかったが、最終的にこれ以上我慢できないと思って警察に行った」

 当初は、高校を卒業するまで我慢しようと思っていた。被告人からAさんへの性暴力はこの事件の日が初めてではなく、わいせつ行為がエスカレートした末の事件だったからだ。

 判決によると被告人は事件当日、起床したAさんに対し「一緒にお風呂に入るぞ」と言ったという。Aさんはこれまでも被告人から説教をされながら胸を触られたり膣に指を入れられたりしたことがあったため「このときも自分が悪いことをしたと理解させるために風呂で胸を触ったりするのだ」と思ったのだそうだ。ところが風呂で体を触られたのちに居間に行くと、被告人から「服を脱げ」と命じられ、性交された。

 Aさんは事件直後、友人にLINEを送っている。

 「ついにね」

 「やりましたよね」

 「おやと」

 「処女がおやっていうね」

 「おわったよね」

 別の友人は、法廷でこう証言した。

 「事件前日、Aさんが『被告人から説教を受けるときに胸を揉まれるなどの性的被害にあっている』ことを相談するメッセージを送ってきた。事件当日の昼過ぎごろ、Aさんは、部室にいた私を部室の外の木陰に呼び出して話をしようとしたが、泣き出してしまって、しばらく話をすることができなかった。そのあと『お父さんに入れられた』『服を脱げなどと言われ、これは教育の一環だなどと性的暴力をされた』と被害を告白した」

 事件後、Aさんは母方の祖母のもとへ引き取られた。高校は定時制への転校を余儀なくされ、両親は離婚している。「お父さんのことを警察に言わないで自分だけが我慢していれば、お父さんとお母さんが離婚することはなかった」と法廷で語った。親から性暴力を受けた子供は、自分が被害を申告することで家庭を壊すことを恐れる。Aさんが涙声で証言する間、マスク姿の被告は、一点をじっと見つめ続けていた。

 法廷でAさんは時系列の一部が曖昧なところもあったが、事件のあった日がいつかということは、はっきりと覚えており、こう証言している。

 「その日は『うねめまつり』があったので、覚えています」

 判決で被告人の主張は退けられ、懲役6年が言い渡されている。Aさんは、うねめまつりのたびに、事件を思い起こすのだろうか。


たかはし・ゆき 1974年生まれ。福岡県出身。2005年、女性4人で裁判傍聴グループ「霞っ子クラブ」を結成(現在は解散)。以後、刑事事件を中心にウェブや雑誌に執筆。近著に『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』。

高橋ユキさんの『つけびの村』が文庫版になって小学館から発売されました。 追加取材のうえ新章を収録!

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