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【熟年離婚】〈男の言い分71〉

車の小事故続きの妻ー運転免許を無理やり返納させたら、結婚生活も「返納」することになりました。


 Y氏、59歳。会社員。1歳上の妻と4月に離婚。

 高齢のドライバーがブレーキとアクセルの踏み間違いで、悲惨な事故を起こす事件が多いですよね。妻も、いつかそんな事故を起こすんじゃないか、ほんとに心配でたまりませんでしたよ。

 妻―と言っても「元・妻」ですがね―が運転免許を取ったのは、30代の終わり頃―娘が高校生になって部活帰りが遅くなるので迎えに行く、と―。娘はバス通学でしたが、バス停まで人家の少ない道を往復するので、親としても心配でしたから、妻が運転免許を取るのは大賛成でした。でも、妻は運動神経はいい方じゃなくてね、2回目の試験でようやく免許が取れたんです。私は会社の営業職でしたから忙しくて、朝早く家を出て夜帰って来る、そんな毎日ですから、家庭生活の“足”は、妻が一身に引き受けることになりました。しかし、娘の迎えが続いた3年間、妻は車のあちこちをこすったり、ちょっとへこませたりしていましたが、事故は起こさず、娘が無事卒業した後、“部活用ドライバー”も卒業となりました。

 娘が東京の大学に行ってからは、妻一人の“カーライフ”です。


 彼女は、娘の学費の足しにと、食品工場のパートを始めましたが、5㌔ほど離れた職場に通うのも、主婦仲間と街に食事に行くのも、向かいの家のばぁちゃんを病院に送って行くのも、美容院もスーパーも車、と―本人に言わせれば「車のおかげで、毎日が楽しい」と。そのうち、私が街で飲むことがあると、車で迎えに来てくれるようになりました。これはありがたかったですがね。

〝異変〟の始まり

 そうこうしているうちに、東京で就職した娘も結婚。親の役目からも解放されて、私ら夫婦も二人だけの人生を歩けばいい。私は、会社の役職に就いていっそう忙しくなりましたが、妻にとっては、毎日が「もっと楽しい」時期になったようです。

 彼女なりに“カーライフ”を楽しんで、友達と旅行に出かけたり、60㌔ほど離れた街に、フラダンスを習いに行ったり、と―。そんな日々が2年ほど続いた頃、彼女の運転に“異変”が起きてきました。車がガレージにすんなり入らないで、しょっちゅうこする。3回、4回とそれが続いて、その度、修理に出す。そのうち、ヤケになったらしく、修理しないで、擦り傷を派手につけたまま車を乗り回すようになりました。私が「みっともないぞ」と注意したら「ガレージが狭すぎるのが悪い」と―。粗末な小屋同然のガレージですが、私の車も入れていますから危なくて、自分の車は庭の端に停めるようにしました。

 それから“異変”が増えて来たんです。ある日曜日、買い物から帰って来た彼女の車の音がしたと思ったら、バリッー、ドーンと恐ろしい音―外に飛び出してみると、生け垣に車が突っ込んでいる。隣の家でなくてよかった、と胸をなで下ろしましたよ。

 それからというもの、もう、運転はやめろ、やめない、の口論が続くようになりました。何とかして彼女の運転をやめさせようと思っても、私は仕事で毎日出かけていますから、見張っているわけにもいかない。心配で、夜中に彼女の車のキーとスペアを持ち出して、朝、知らん顔で出勤しました。―しかし、こっちの脇が甘かった。彼女、業者を呼んで“問題解決”していました。その夜は、キーを隠した、運転やめろ、の大喧嘩でした。

 どんな病気だって、早期発見が大事でしょう。車の運転だって、大きな事故を起こす前にそれなりの対応をしないとねぇ。それを私が言い張る、彼女は聞く耳を持たないで怒り狂う。毎日喧嘩でしたよ。

 そのうち、私が心配していた事故が起きました。彼女は、スーパーに買い物に行った帰り、そのスーパーのフェンスに激突したんです。連絡を受けて飛んでいくと―20㍍ほどに渡ってフェンスがなぎ倒されている。―これが人だったら、フェンスの向こうに人がいたら、と思うと足がガタガタ震えました。―後始末は大変でしたが“不幸中の幸い”というものです。妻は、首を軽く捻挫しただけで、懲りる様子もありません。また妻と喧嘩でしたが、彼女が言うには「飛び出して来た猫を避けようとしただけ」と―。


 もう問答無用で、妻の襟首をつかむようにして免許を返納させました。

結婚生活も「返納」

 大事故を起こす前に、妻の運転免許返納でほっとしたものの、それから彼女の“報復”が始まりました。私が仕事から疲れて帰って来ても、晩飯が無い。聞くと「車が無いから買い物に行けない」。仕方なくコンビニ弁当。では、と私が仕事帰りに食材を買って来ると「こんなの……」と無視。彼女が髪ぼさぼさ、くたびれた服でゴロゴロしているのを注意すると、「車が無いから、外に出ることもない。美容院にも行けない」。じゃあ、私が休みの日に連れてってやろうか、というと無視。フラダンスの教室の発表会の案内が来たら「車が無いから練習にも行けなかった」と大泣き。

 二言目には「車が無いから」で、夫婦喧嘩も毎日。売り言葉に買い言葉でだんだん険悪になって、そのうちあっちの部屋とこっちの部屋で暮らして、食事もそれぞれの、家庭内別居が始まりました。恋愛結婚したはずですが、夫婦ってもともと、他人だったんだなぁ、と妙に感心しましたよ。

 こんな生活をどちらかが死ぬまで続けるのかと思うと、すっかり暗い気持ちになって、最後は離婚話になりました。彼女は抵抗するかと覚悟していたら、あっさり「そうだね。毎日喧嘩もくたびれた」と―やっぱり、夫婦って他人同士なんだなぁ、とまた感心。

 車のことで両親がもめているのを心配していた娘も「良かった、もうお互い穏やかに暮らして」と賛成。そして「お母さん、大きな事故を起こさないで済んだのは、お父さんのお陰だよ。感謝、だね」と言ってくれたのには、思わず涙が出ました。

 離婚には金だ、財産分けだ、住まいだと大きなエネルギーが要ります。増して長年一緒だった夫婦はね。でもね、お互いいがみあったまま一生暮らすのは、もったいないですよ。この先、長くても短くても心穏やかに生きていたいもんね。妻は家を出て、娘の家の近くのアパートで暮らしています。都会は車なんて無くても何でもできる。「車が無いから」とグズグズ言わなくて済む。娘の家族とも行き来できる。良かったね。

 私はまだ勤めがあるし、仕事が面白い。頑張りますよ。長い家庭内別居で料理の腕も上がりました。

 ニュースで、高齢者が起こす悲惨な事故を知る度、妻に運転をやめさせて本当に良かったと思います。免許返納の「お返し」に「結婚生活返納」が来たけど、これも仕方ないことでしょう。

 彼女が派手に壊して弁償した、スーパーのフェンスを見る度、高齢者の事故が起きないようにと祈る気持ちになります。(橋本 比呂)



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