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【熟年離婚】〈男の言い分69〉

あらら、共働きで長く単身赴任してた妻が、現地に自分の家建てて暮らしていた。


 D氏、62歳。同い年の妻と今年1月離婚。

 私の家は4代続く農家ですが、今は80代になった両親と私で、やっと持ちこたえてやっているところ。父は前から「俺の代で百姓は終わりにする。この先、小さい農家では食っていけね」と言って、「何があってもいいように、大学に行け」と、もともと乏しい畑を売って、私を大学に行かせてくれたんです。

 妻とは、その大学のサークルで知り合って―卒業後、私は地元の町の会社に就職、妻は公務員になって、24歳の時に結婚しました。「大学出のヨメなんて」と両親も、当時元気だった祖父母も、嫁に行った姉も煙たがりましたが、ハキハキ明るくて素直な嫁に安堵したようでした。

嫁、筋金入り

 結婚した当時、舅姑と同居する娘なんかいませんでしたよ。結婚の条件が「親と同居しなくてよい次男か三男」と女性達が望んだ時代ですよ。私の場合、爺さん婆さんに舅姑付きの農家。中国とかフィリピンから嫁を貰う農家も珍しくなかった時代、「仕事は続ける」という条件で彼女は嫁に来たんです。親達は大喜びで、周りの農家なんか、ひっくり返りそうに羨ましがりましたよ。

 しかし、蓋をあけて見ると、彼女は大変だったと思いますよ。朝、仕事に出かけて1日働いて来て、男なら缶ビール片手にテレビの前でゴロゴロという時に、彼女は着替える間もなく、姑の夕食づくりの手伝い、朝は朝で、畑に出ている家族の朝飯作りです。可哀想で、私が手伝おうとすると、「男は引っ込んでろ!」と母に一喝される。翌朝の飯の支度で、夜遅く黙々と米を研いでいる妻の姿を、今になって思い出します。

 土日は、私も農作業もやってましたが、妻も手伝ってくれました。彼女はサラリーマンの家庭の娘なので、慣れない作業だったでしょうが、頑張っていました。いつも日曜の夜遅く、台所のテーブルで来週の仕事の準備をしていましたっけ。―そんな新婚時代だったのに、彼女の口からいっぺんもグチが出たことが無かった。これは今も感謝ですよ。「筋金入り」なんですね。―ずっと後になって、彼女の筋金は半端じゃなかったことを知らされましたがね。

 親達は“いい嫁”が来てくれた、と大喜び。私も彼女にどんなに感謝したか―。

 結婚2年目に娘が生まれました。妻が、保育園に預けるというのを、母が「私が見る」と頑張るので、子どもを預けることになりました。

 そうして時が経って―妻の仕事は4、5年で転勤があるので―彼女は車で2時間近くもかけて通うこともありました。「お義母さんに子供を見てもらって、安心して仕事ができる」と嫁に感謝されて、どれほど母はうれしかったことか―娘も大家族と畑の中で育って、明るく逞しく育ちました。

 妻は、家事や農作業の手伝いも時間のある限り頑張っていましたが―娘が大学生になる春、転勤先が自宅からはるか遠くの街に単身赴任することになったんです。―妻は不平一つ言わず、アパートを見つけて、新しい職場に赴任しましたが、それでも金曜の夜には帰って来て、日曜の夜には赴任地に戻っていました。―そのうち妻は管理職になって、「忙しい」と、家に帰って来なくなりました。娘も長い休みの度に母親のところに行っていましたし―私も管理職になって忙しかったので、何となく、夫婦それぞれの暮らしが苦にもならなくなっていきました。

 娘が「お母さん、小さいけど素敵な家に住んでるんだよ。屋根が青くて、壁がクリーム色で―」とか、若い女の子らしい“感動”を私に伝えていましたが、妻も、辛い遠距離移動から解放されて、自分の暮らしを楽しんでるんだろうな、と思っていました。

 たまに妻から、その土地の酒蔵の「銘酒」が届いたり、隣の猫だというトラネコの写真がメールで送られてきたり―と、そうそう悪くはない別居生活が続いていました。

「おしどり夫婦」

 ある時、久しぶりに妻が帰って来て、二人で近所の居酒屋に出かけました。店の戸を開けたとたん、女将さんが「あら! おしどり夫婦! いらっしゃい!」と。何それ?と聞くと「ここら辺の人、みーんな、あんたたちのこと“おしどり夫婦〟って言ってるよ。ほんとにいつも仲いいんだから!」って。

 お互い、別々の暮らしが長いから、たまに会う時は、買い物とか、食事とか、親戚友人の冠婚葬祭とかには二人で出かけますよ。―後はそれぞれですからね。

 野鳥の“専門家”を自慢する友達に聞いたんですけど、オシドリは、ほんとに雄雌がぴったり寄り添っているけど、あれは半年こっきりで、後は毎年、相手を変えるんだそうです。「だから、他人様の結婚式なんかで、おしどり夫婦になって―なんてスピーチするなよ」と彼に言われましたっけ。

 ―半年だけ一緒で、毎年相手が変るんなら、誰だって「おしどり夫婦」になりたいしょうが。―これ、問題発言だね―私ら夫婦は、相手は変えませんが、時々一緒の後はそれぞれ、のところは「おしどり夫婦」かな。ニコニコと私らを見つめている女将に「ありがとね」と言って、苦笑いしましたよ。妻は「おしどり」の実態を知ってか知らずか黙ってビールをぐい飲みしていましたっけ。

 両親もすっかり体が弱って、私ひとりで農業も無理になった―これからのことを相談しに、妻のところに出向きました。退職したら彼女に戻ってきてほしいですからね。

 妻は、娘が言うように、小さいがなかなかしゃれた家に住んでいました。単身赴任の妻を私が訪ねたら、「夫」と思わない人がいるかもしれない、と遠慮してそれまで行くことはなかったので、初めてです。行ってみると、彼女が本当に頑張って仕事をしていることが、家の様子でよくわかりました。

 相談が煮詰まって、さて、妻が家に戻る件に話が進んだら―なんと、彼女が居る家は、自分で建てたことがわかりました。彼女、ほんとに「筋金入り」です。ソファで寝ているトラネコは―前にメールで送って来た“隣の猫”でなくて、彼女の猫。あらら、ですね。


 憎みあったり、争ったりしたこともない。ただ離れている時間が長いと、夫婦なんてこんなもんなんだろう、と。妻は妻で、自分自身の人生をやり直したかったんでしょうね。お互い、相手を年々変える「おしどり」でなかったことだけがまぁ気持ちいい結末で、淡々と離婚も“成立”しました。

 娘に、母親の家の“真相”を話したら、「とっくに知ってたけど、お父さんに言えなかった」と言われたのがショックでしたね。

 その後、退職した彼女は、あの家で学習塾を開いて繁盛しているようです。私の方もこれからの暮らしが変わりそうです。結婚して東京で暮らしている娘の子ども二人が喘息が治らないので、夫が勤めを辞めて家族で家に帰って来たいという。それからどうするの?というところですが、新しい暮らしが始まります。

 夏が近づいて、畑の草取りが大変。今日も頑張りますよ。(橋本 比呂)




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