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【原発事故4訴訟最高裁判決】認められなかった国の責任(牧内昇平)

『政経東北』2022年7月号より

 原発事故を起こした国の責任を追及する集団訴訟4件について、最高裁第2小法廷(菅野博之裁判長)は6月17日、国の賠償責任を認めない判決を言い渡した。原発政策に転換を迫る歴史的判決を期待していた人びとの落胆は大きい。しかし、原告たちの歩みがこれで終わったわけではない。

 午後2時半、東京都千代田区の最高裁正門前には、「歴史的」判決を聞こうと数百人の原告や支援者らが集まっていた。

 事故後も福島に残った人を中心とし、福島地裁に提訴した「生業訴訟」(生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟)。千葉県に避難した人びとが訴えた「千葉訴訟」。同じく「群馬訴訟」、「愛媛訴訟」。これらの4訴訟を一括して最高裁で審理した。原発事故をめぐる国の法的責任について最高裁の判断が示されるのは今回が初めてだ。

 約10分後、ニュース速報をチェックした報道陣から小声がもれる。

 「国の責任を認めず? えっ、なんで?」

 正門前の空気がずしりと重くなる。予定時刻を十数分過ぎて、生業訴訟弁
護団の馬奈木厳太郎事務局長が姿を見せた。判決を聞きに入廷したほかの原告や弁護士たちはまだ出てこない。一人で壇上に立った馬奈木氏がマイクを握る。

判決言い渡し直後、最高裁正門前で判決結果を説明する馬奈木厳太郎弁護士=6月17日、牧内昇平撮影

 「全く被害に向き合っていない。断じてこのような判決を受け入れるわけにはいきません。皆さん、この怒りをここで終わらせるわけにはいかない!」

 馬奈木氏は判決文を振りかざし、最高裁に問いかけた。

 「この判決、福島の皆さんたちの前で、本当に読み上げることができるのか?」

 大きな裁判では判決結果を白い紙に書いて伝える「旗出し」をするのが通例だ。しかし、4訴訟の関係者は今回、あえて敗訴した時の旗を書かなかった。それくらい、「勝たねばならない裁判だ」という思いが強かったのだ。

 「許せねえ! 許せねえ!」

 生業訴訟原告団の服部崇さんがメガホンで叫んだ。

 「こんなんで負けっかよ! 我々はこの運動をずっと続けていく! よく考えろ。歴史に残る不当な判決だ!」

 服部さんはそう叫び、泣いた。最高裁正門前は悲壮感に包まれた。

最高裁正門前に集まった原告や支援者たち=6月17日、牧内昇平撮影

     ◇
 全国各地で起きている原発事故集団訴訟の争点は、①津波による事故を予見できたのか(予見可能性)、②対策を講じれば事故を防げたのか(結果回避可能性)、の2点だ。

 この2点について生業訴訟を中心に原告側の主張をまとめると、おおむね以下のようになる。

 ①国の地震調査研究推進本部が2002年に公表した「長期評価」は、福島県沖を含む日本海溝沿いで大地震が起きる可能性があると指摘していた。長期評価に基づいて試算すれば、原発の敷地が津波で浸水することは予見できた。②国が東京電力に対する規制権限を行使し、防潮堤の建設や重要機器の水密化を進めさせていれば、重大事故は防げた。

 4訴訟のこれまでの判決結果を見ると、原告側の主張が認められる可能性は十分にあった。生業、愛媛の両訴訟は、地裁でも高裁でも国に勝訴してきた。

 しかし、最高裁は勝敗をひっくり返した。しかも①の「予見可能性」について判断を示さず、②の「結果回避可能性」のみに焦点を当てるという予想外の方法で、「法的な賠償責任なし」という結論を導いた。

 判決の流れをおおまかに追うと、こうなる。

 判決はまず、事故前の津波対策は防潮堤が基本だったという認識を示した。この時点で非常用電源がある建屋の扉などについて集中的に浸水を防ぐ「水密化」などの対応を検討対象から外した。そして次に、判決は津波がいかに「想定外」だったかを強調した。実際の地震の規模が長期評価の指摘よりも大きかったこと。津波は原発の南東から来ることが予想されていたが、実際には南東だけでなく東側からも襲ってきたこと。これらを指摘した上で、判決は結論をこう書いた。

 〈仮に、経済産業大臣が、長期評価を前提に規制権限を行使し、津波による事故を防ぐための適切な措置を東京電力に義務付けていたとしても、本件津波の到来に伴って大量の海水が本件敷地に浸入することは避けられなかった可能性が高い〉

 最高裁判決の意味するところは、菅野博之裁判長の補足意見を読むと分かりやすい。

 〈本件で国家賠償責任が認められない原因は、端的に言えば、本件地震が余りに大きな地震であり、本件津波が余りに大きな津波であったため、長期評価を前提に行動したとしても、事故を回避することができたと判断するには無理が大きすぎるからである〉

 しかし、裁判官4人のうち検察官出身の三浦守氏だけは反対意見を書いた。内容を筆者なりに要約して紹介する。ちなみに、最高裁のホームページから読める判決文は全体で54ページだが、三浦氏の反対意見はそのうち約30ページを占める。異例の長さだ。

 〈津波は予測が困難な自然現象であり、想定を超える津波が発生する可能性は否定できない。一方で原発事故はいったん起きれば、数多くの人の生命、身体に重大な危害を及ぼす。そのことを考えると、必要な対策は想定内の津波を前提とした防潮堤の設置で足りるはずがない。極めてまれな可能性であっても、敷地が津波により浸水する危険にも備え、非常用電源設備の水密化などの措置が必要だった。水密化は、当時から国内外の原子炉施設で一定の実績があったことがうかがわれ、技術的な知見は存在していたと考えられる〉

 読者の皆さんに問いたい。判決や菅野裁判長の補足意見と、三浦裁判官の反対意見。どちらに賛同するか? どちらが原発事故の重大性と真摯に向き合っていると思うか?

重要判断を避けた最高裁

 判決言い渡し後、国会議員会館で開かれた記者会見では、弁護団から痛烈な批判が相次いだ。

判決後の報告集会を開く4訴訟の原告や弁護士たち。左端は生業訴訟原告団の服部浩幸事務局長=6月17日、牧内昇平撮影

 前出の馬奈木氏はこう指摘した。

 「今日の判決は仮定に基づいています。『仮に対策をとったとしても、防潮堤によっては津波を回避することができなかった』と。でも、実際には国は何もしなかったわけです。これで何の教訓を得られますか? 何もしなくたっていいよ。どうせ駄目だったのなら責任ないよ。最高裁はそんなメッセージを伝えたいのでしょうか?」

 同じく生業弁護団の南雲芳夫幹事長は「判決に書いてあることよりも、何が書いてないかのほうが重要だ」と指摘した。「長期評価を基に事故を予見し、対策を取らなかったことが『怠り』なのか否か。ここを教訓にして二度と原発事故を起こさないというのが原告の訴えでした。ところがこの部分について、判決は触れていません。『怠慢だったけど、やっても駄目だった』という判決なら、まだ分かる。怠慢だったかどうかの判断を示さずにこの事故をおしまいにした。これで裁判官として仕事をしたことになるのか?」

 南雲氏も怒りを隠さない。

 「結局は原子力損害賠償法で東電が金を出しているんだから、それ以上は踏み込まないということ。じゃあ、原発事故は金だけの問題で済むんですか? 金だけの問題じゃないんだとみんなで言ってきました。ところが最高裁は『しょせん金でしょ。金で解決すればいいんだ』と。こんなことをやっていたら、また事故を起こしますよ」

 原子力損害賠償法は事故が起きた場合、過失の有無にかかわらず電力会社に賠償責任を負わせる。つまり、賠償が進んだとしても責任の所在はあいまいなまま残る。それを防ぐために国を相手取った裁判を起こしたのに、最高裁が判断を示すことを避けたということだ。
     ◇

 最高裁は今年3月の段階で東電の上告については退けている。このため、各訴訟が高裁段階で勝ち取ってきた賠償額に変更はない。国ではなく東電が賠償額をすべて支払うだけだ。しかし、「国の責任」を明らかにすることを目標としてきた原告団・弁護団にとって、最高裁判決のショックは大きい。たとえば4訴訟が加入する「原発被害者訴訟原告団全国連絡会」は、国が法的責任を負うことを前提として、被害救済策の抜本的な見直しを求める「共同要求」をまとめていた。▽賠償基準の見直し、▽汚染水を海洋放出する方針の撤回、▽放射線被ばくの危険性をふまえた健康診断や医療費の無償化、などを求めていた。今回の判決によってこれらの取り組みにいったんブレーキがかかることが懸念される。

 しかし、彼らの取り組みはこれで終わらない。むしろ、リスタートの動きはすでに始まっているのだ。

 判決から一夜明けた6月18日、南相馬市内の事務所の一室では、生業訴訟の新しい原告を集める説明会が開かれていた。

 「最高裁では国に負けてしまいました。けっして油断していたわけではなく、出来る限りの力を尽くしてやってきました」

 生業訴訟に関心をもって集まった人びとに、弁護団の鈴木雅貴弁護士が呼びかける。

 「皆さんにもご協力をお願いします。どういう被害があったか、しっかりと書き記してもらいたいです」

「第2陣」を追加募集

 生業訴訟の場合、6月17日に最高裁判決が言い渡されたのは2013年3月に提訴した「第1陣」だ。2016年12月提訴の「第2陣」は今も福島地裁で審理が続き、新しい原告を募集している。この日のような説明会を県内各地で定期的に開く。

 「家族で入る場合はどうすればいいの?」「負けることはあるの?」

 集まった人びとから質問が飛んだ。その場で書類に記入し、原告に加わる人もいた。

 説明会を終えた鈴木氏が筆者に語った。受け入れがたい最高裁判決が出た以上、「第2陣」の裁判の重みは今後さらに大きくなるという。

 「原告の方ひとり一人の救済はもちろん大事です。それと同時に、司法に対して事故の教訓は何かをしっかりと回答してもらう。そういう取り組みでもあるのだと思います。今回の最高裁判決には納得していない。おかしい。そのことを形として見せていく。こんなに被害があるのに向き合わなくていいんですかと、第2陣でもう一度突きつけたいです」

 鈴木氏の話を聞きながら、筆者は前日の17日に開かれた記者会見や報告集会を思い出していた。原告や弁護士たちはその場でも、判決への怒りや落胆だけでなく、今後の抱負を語っていた。

 生業訴訟原告団長、相馬市在住の中島孝さんは「この闘いは終わらない。何度たたかれても立ち上がる。それが人間だと思います」と話した。

 群馬訴訟の原告、いわき市から群馬県前橋市に避難した丹治杉江さんは、こう話した。

 「このままでは納得できません。後続のたくさんの裁判の皆さんには、私たちの悔しさを受け止めて、しっかりと国の責任を明らかにしていってほしい。それと同時に、この裁判がいかに不正義であるかを伝えていくことが、これからの私の仕事になったと思っています」

 愛媛訴訟原告の渡部寛志さんは南相馬市からの避難者だ。震災当時6歳と2歳だった娘2人と最高裁に臨んだ。報告集会ではほかの原告たちの声とともに、娘たちの言葉を紹介した。

 「高校3年生になった長女、『原発被災者をいじめたり、毛嫌いしたり、差別することなく、もう一度、被害者と同じ気持ちになって考えてほしい。心の痛み、悔しさ、悲しみをみんなと通じ合っていたい。それが私たちにとって一番の支えだと思う』。中学2年の次女、『私の同級生たちは原発事故のことはあまり知らない。知らないとまた事故を起こすから、判決が出たら〈国の政策で起きた事故〉と教科書に載せてほしい』。そういった思いを愛媛の原告たちは抱いていました。もうこれらの願いは叶わなくなってしまうのでしょうか?」

 渡部さんは続けた。

 「そうさせては絶対いけない。原発の廃炉や、最終処分場の問題、処理水の問題、さまざまな問題をずっと何十年も抱えて生きていかなくちゃいけないのは、私たちのこども、未来世代です。ここであきらめて責任の所在をうやむやにされたまま終わる、それでは後世に残すものは何もなくなります。どのような方法で何をしたらいいか、私にはまだ分かりません。なんとか今の状況、これからの未来に対してプラスになる働きかけを、あきらめずに、していかなければいけないと思います」

原告たちの闘いは終わらない

 千葉訴訟の原告、浪江町から避難した瀬尾誠さんは、「やるべきことはもう決まっています。私の裁判は終わりましたが、皆さんの裁判を応援します」と語った。千葉訴訟の第2陣は東京高裁での控訴審が続いている。福武公子弁護団長はこう話した。

 「私たちは原告と共に、きょうの最高裁判決の論理の欠陥および矛盾を突いて、国の責任を認めさせるような高裁判決をもらって、さらにまた最高裁に行って、きょうの判決をひっくり返すような活動を進めていきたいと思っています」
     ◇
 最高裁は原告たちの訴えを退けた。彼らの思いを正面から受け止めようとさえ、しなかった。そのことの「罪」は重い。一方で、三浦裁判官が長文の反対意見を書いたのは重要だ。17日の判決が不十分であることを端的に示している。

 これで闘いが終わったわけではない。むしろここからが佳境なのかもしれない。生業訴訟の第2陣も含め、全国で同種の訴訟が続いている。そこで「国の責任」を認めさせることができれば、もう一度最高裁に挑戦できる。三浦氏のような裁判官もいる。逆転はあり得る。

まきうち・しょうへい。41歳。東京大学教育学部卒。元朝日新聞経済部記者。現在はフリー記者として福島を拠点に取材・執筆中。著書に『過労死 その仕事、命より大切ですか』、『「れいわ現象」の正体』(ともにポプラ社)。公式サイト「ウネリウネラ」(https://uneriunera.com/)。



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