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【熟年離婚】〈男の言い分53〉

女房に離縁され、彼女にフラれ―バカな男のよくある話ですよ。


 K氏、59歳。元自営業。1年前、同年の妻と離婚。

 私は、4代続いている酒屋の婿養子でした。店は大きくはないが、全国の日本酒、焼酎なんかを扱っていて、地元の老舗として頑張っています。その家には、三代に渡って男の子が生まれなくて、爺さんの代から婿取りなんです。私は婿三代目。遠縁の妻とは一族の結婚式や葬式で会っていましたが、彼女はテキパキ、明るい性格で、私は、望まれるまま抵抗感もなく、婿入りしました。

 ところで私は高校時代から、自然を撮る写真が好きで、大学に行ってからも写真部に入りました。4年間というもの、暇さえあれば山に行って、野生動物や森の風景を撮りまくっていました。そこの自然に魅せられて、地元の会社に就職。休みというと撮影に出かけていました。

 ある時、街のタウン誌の企画で私の“森の動物”の写真を載せたところ、大好評で毎月の連載に―そのうち、役場の広報誌や、地元の企業のカレンダーにも私の写真が採用されて―うれしかったですね。自分の好きなことが、世間様に認めてもらえるんですから。

 会社の仕事は営業職で、ノルマをこなすのが辛かったですが、写真があるおかげで、生きがいのある毎日でしたよ。

 会社勤めをやめて、結婚したのは28歳の時。家は、祖父母と両親が同居、そこに私と妻の大所帯ですが、仲の良い家族で―義祖父も義父も婿ですから、心なしかおとなしく、女が元気に仕切る家でしたね。私は義父と一緒に、主に飲食店から来る注文を受けたり、配達に回ったりして頑張りました。

 「あの婿はハズレ」と言われたくない意地で、カメラはしまい込んで、仕事に専念。毎日頑張りましたよ。義父も私につられて意地を出して―それまで先細りだった商売が、活気づいていきました。




 写真と離れている毎日は寂しかったですが、それなりに充実した時期でしたね。

男子誕生!

 結婚2年目に、子供が生まれました。男の子。―もう、家中、大変な喜びよう。何といっても、三代、男子に恵まれなかった家に授かったんですから王子様です。爺さん婆さんは一斗樽を店の表に出して、通行人に振る舞うわ、義父母は、地元の旅館の大広間で大祝宴をするわ―二階の窓から下げた日の丸の旗は私が外しましたが―。

 家中の笑顔の中で、息子はすくすく育って、すべてが彼を中心に回ります。妻も、義母も、息子の世話にかかりきり。婿の父と私の“疎外組”でわびしいメシも度々でした。

 ま、そんな不満はあっても、家の中に活気が出て来たし、店もなんだかいきいきして業績も上がるし―王子様が福を連れて来たかのようでした。

 息子の成長と一緒に、妻と義父母の生きがいも大きくなって、学校の全ての行事も、息子が始めた野球の試合も、〝一個連隊〟が大張り切りで参加。私は留守番で、せっせと家業に専念していました。

 超過保護で育ったのに、息子は、真っ直ぐに育って、いずれ家の商売を継ぐ、と東京の大学の商学部に入りました。家中、涙を流さんばかりに喜んで、義父母は赤飯と清酒4合瓶を近所に配り歩きました。

 そりゃ、私もうれしかったですよ。酒類量販店に押され気味とはいえ、老舗の信用厚い家業も続くし、息子にバトンタッチしたら、思う存分、写真を撮って暮らせますからね。

山小屋のしあわせ

 ある時、大学のサークルの先輩から、久しぶりに連絡があって、学生時代、よく撮影に出かけた高原に、山小屋を造ったから遊びに来い、と。うれしくて、飛んで行きました。

 “山小屋”とはいえ、それはなかなかしゃれた別荘で、朝は鳥の声で目が覚めて、ベランダからは、眼下に街が海原のようにかすんで見える。私はいっぺんでその小屋の虜になりました。

 先輩は、水彩画を描く奥さんと一緒に、休みの度にそこで過ごすと―いいなぁ、それぞれバラバラに生きている自分達夫婦には無縁の暮らしだな、と心底、うらやましかったですよ。暇ができる度に、私は先輩の山小屋を訪ねました。

 そんな時、山小屋で出会ったのが彼女です。彼女は、先輩の奥さんの絵の仲間で、イラストレーターだとか。スケッチブックを抱えた姿が清々しい。私より13歳下という若さもまぶしい。先輩夫婦と彼女と私で、それぞれ絵を描いたり、写真を撮ったり、暖炉の前で明け方まで酒飲みをして―今思えばあれが私の“青春”だったかも。

 しかしそんな楽しいことも2年足らずで終わりに―。先輩が脳梗塞で倒れて―奥さんの頼みで、私がその小屋を譲り受けることになりました。妻は、「お父さんが今まで仕事を頑張ってくれたご褒美」と、賛成。

 息子が大学を卒業して家に帰って来たのを機に、私は山小屋に“隠居”で“写真三昧”の暮らしを始めることができました。

 そこに、彼女が度々絵を描きに来て―ま、お互い憎からず想い合っていたわけで―一緒に山小屋で暮らすようになりました。

 彼女と絵や写真の話をして過ごしたり、彼女が窓際のテーブルで一心にイラストを描くのを眺めたり、彼女が作る料理で晩酌したり―ほんとに幸せでしたね。

来訪者

 私は、月1回ほどは家に帰り、彼女も東京の実家に戻ることもありましたが、私らの、山小屋暮らしが続きました。

 ある日のこと、見慣れぬ初老の紳士風の人が訪ねて来て「この辺りに別荘を作りたくて見に来ている。素敵な山小屋だから、つい、声をかけた」と―彼女はハーブティーなんか出して歓待―しばらくして彼は、また来た。「先日はどうも」と菓子を手土産に「なかなか、予算に合ういい場所がみつからない」と。

 その後、ひと月ほどしてちょっと家に帰ったら、無言で妻に差し出された紙は「離婚届」。

 山小屋に来たあの男は、妻が放った〝密偵〟だったの。参りました!大もめの末、離婚です。

 山小屋に帰って、彼女に報告。彼女には、曖昧な関係を続けて心を痛めさせていて申し訳なかった。これから堂々、一緒に人生を送れる、彼女もどんなにか喜ぶだろうと思ったんです。

 でもね、彼女が言った。「離婚しちゃったら、私があなたの老後の面倒を見るんでしょう。やってられない」。―そういうことです。こうして、妻に離縁され、彼女にもフラれてしまった。バカな男のよくある話ですよ。

 息子に嫁が来て、元・妻は裏庭の土蔵を改造して、嫁姑でカフェを開いて評判のようです。息子も頑張って家業を盛り立てているようだし―彼女も元気で頑張ってるようだし―私は、今、高原の写真集を出すつもりで、毎日、鳥や動物を追いかけています。みんなそれぞれ、自分の人生を歩いていくんだね。転んだり、起きたり、休んだり、また歩いたり―ね。

 今度、私の山小屋に来てみませんか。暖炉の前で飲むウイスキー、旨いですよ。 (橋本 比呂)


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