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【義母と娘のブルース】【桜沢鈴】なかなかのイナカ 奥会津移住日記⑫

雪が解けたらまた花が咲く


 紙幅の都合で書いていなかったことがある。私には人生を共にしたパートナーがいた。それは猫。野良で拾った母猫と、母猫が産んだ娘の猫2匹、計3匹。実家の大阪から東京、会津若松、奥会津へ引越しをしても一緒に連れて行き、ずっと一緒に暮らした。

 会津若松に来た時点で母猫はおよそ17歳、娘たちは16歳だった。まあまあの老猫。

 猫達は突然恐ろしく寒い地域に連れてこられてびっくりしていたと思う。初めて庭に雪が積もった日、猫達は明らかに戸惑っていた。

 1匹はいきなり景色が変わったことに呆然とし、1匹は一つだけ雪に肉球の跡を付けて尻込みし、1匹はダッシュで雪の中に駆け出したけれど、冷たさにビックリして踵を返した。三者三様の反応が面白かった。

 若松に住んでいた2年弱、どん底に貧乏だった。

 最初の冬。猫達はコタツの中で3匹かたまって寝ていて、私はその中に足を突っ込み、上半身は厚着をしていた。

 たまにコタツから顔を出して膝に乗る猫を撫でながら漫画を描いた。灯油ストーブを導入すると猫達はその前を奪い合うように暖を取った。

 そして雪がようやく終わる頃、庭の花が咲く前に母猫は私の腕の中で息を引き取った。

 その後、娘猫2匹と私は奥会津に引越しした。そこで現夫とお付き合いをして結婚に至るのだが、夫も1匹の雄猫を飼っていた。

 最初は夫の猫と私の猫達の折り合いが悪く一触即発状態だった。

 もし喧嘩したら、大自然の中でたくましく育った夫の猫に、私の老猫は大怪我をさせられるだろう。猫が顔を合わせないように、部屋を仕切って暮らす緊張の生活が続いたが、1カ月もすると慣れてきて、互いに認めるしかしょうがないという関係まで持っていくことができた。

 程なく1匹が体調を壊し、あっという間に亡くなる。すぐにそれを追うようにもう1匹も旅立ってしまった。2匹とも享年19歳。大阪で生まれた猫3匹は自然豊かな会津地方で〝猫生〟を閉じた。

 どんな死にも後悔がある。ましてや会話ができない相手となると、もっと美味しいものを食べさせれば良かったとか、あの時寂しい思いをさせたとか、考えは尽きない。

 しかし自分は漫画家で本当に良かったと思った。出勤がないのでずっと家で猫達と一緒にいられた。生まれる瞬間、死の瞬間まで立ち会えた。思いっきり一個体の一生と付き合ったのだ。悲しさはあるが充足感もあり、至上の喜びのようにも思えた。

 去年の春、3匹の骨を庭に埋めて、その上にバラを植えた。都会だったら、こんな埋葬の仕方はできなかったかもしれない。バラはぐんぐんと茎を伸ばして立派に成長した。

 今は雪の下に埋まってしまっているけど、もうすぐ雪が解けたらまた彼女たちの花が咲く。いつか自分もそっちに行くからね、と声をかける。

 生も死も両方愛おしい、こんな気持ちにさせてくれる田舎暮らしはなかなか良いものだ。

 「なかなかのイナカ」、丸1年原稿を書かせていただき誠にありがとうございました。

 これからも私の奥会津暮らしは続きます。

さくらざわ・りん 大阪府出身。漫画家。7年前に会津若松市に移住し、現在は奥会津で暮らす。代表作『義母と娘のブルース』はドラマ化されて大ヒットした。




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