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【歴史】【岡田峰幸】のふくしま歴史再発見

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おかだ・みねゆき 歴史研究家。桜の聖母生涯学習センター講師。1970年、山梨県甲府市生まれ。福島大学行政社会学部卒。2002年、第55回福島県文学賞準賞。著書に『読む紙芝居 会津…
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記事一覧

田村庄司の系譜|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載127

 郡山市の東部から三春、田村市、小野にかけての旧田村郡は、かつて〝田村庄〟と呼ばれていた…

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鎌倉公方と奥州|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載126

 足利尊氏が征夷大将軍となり室町幕府を創設した西暦1336年(南朝・延元1/北朝・建武3…

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芦名直盛と黒川城|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載126

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和3)に北朝が当時の東北地方を制覇。…

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白河結城氏の台頭|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載125

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和2)5月、奥州南朝の拠点であった宇…

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再燃した北朝の内紛|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載124

 南北朝時代の西暦1353年(南朝・正平8/北朝・文和2)5月、奥州南朝の拠点であった宇…

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宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載123

 南北朝時代の西暦1352年(南朝・正平7/北朝・文和2)3月24日、奥州の南朝大将・北畠…

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宇津峰の決戦|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載122

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)12月、奥州の南朝大将・北畠顕信は陸奥国府(多賀城)を奪還。しかし1352年(南朝・正平7/北朝・観応3)閏2月になると北朝の奥州管領・吉良貞家の逆襲が始まり、同年3月11日に南朝はまたも国府を奪われてしまった。  北畠顕信は南朝皇子の守永王を伴って伊達氏の領内にあった大波城(福島市)へ避難。だが伊達氏はこのころ力が衰えており「ここでは北朝の攻勢をしのげない」と顕信は判断。そこで3月24日までに宇津峰へ入城した。宇津

吉良貞家の逆襲|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載121

 南北朝時代の西暦1351年(南朝・正平6/北朝・観応2)春、南朝の皇子である守永王が奥…

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南朝の国府奪還|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載120

 南北朝時代の西暦1347年(南朝・正平2/北朝・貞和3)秋、奥州北朝を指揮する奥州管領…

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観応の擾乱|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載119

 南北朝時代の正平元年(南朝元号/1346)1月、北朝の奥州管領(司令長官)として畠山国…

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霊山と宇津峰の陥落|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載118

 南北朝時代の興国4年(1343/興国は南朝の元号)6月、奥州南朝の重鎮であった白河の結…

月刊 政経東北
10か月前
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結城親朝の離反|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載117

 南北朝時代の興国元年(1340)7月、奥州の南朝大将として北畠顕信が石巻(宮城県)に入…

月刊 政経東北
11か月前
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新たな南朝大将|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載116

 延元3年(1338)5月、奥州南朝の総大将・北畠顕家が石津(大阪府堺市)で討死。残され…

結城宗広の最期|岡田峰幸のふくしま歴史再発見 連載115

 奥州南朝の総大将・北畠顕家は、北朝の総帥・足利尊氏と雌雄を決すべく延元2(1337)年8月に霊山(伊達市)を出陣。翌年1月に青野原(関ヶ原)まで達した。が、ここで北朝の防衛線を突破できず伊勢国(三重県)に転進。部隊を再編した顕家は伊勢から奈良、和泉国(大阪府)を通って京を目指そうとした。だが奈良の般若坂で北朝勢に敗北。軍勢が四散してしまう。顕家はわずかな兵を連れて和泉国に向かったが、長年にわたり顕家を支えてきた白河搦目城主・結城宗広は般若坂で脱落。南朝の後醍醐天皇がいた吉野