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大人の社会科見学のススメ

前回の投稿からずいぶん間が空いてしまいました。

久しぶりに、思うことがありましたので今日記事を書こうと思った次第です。

今日は「大人の社会科見学のススメ」です。

社会科見学というと、小学校や中学校のときに大型バスに乗り込み、どこかへ行って色々見て回る、ということを想像する方も多いと思います。
もちろん、それで得るものも多いでしょう。

また「美術展などにたまに行っている」「○○工房の体験をやったことがある」などとおっしゃる方も多いでしょう。
それも非常に興であることは否定しません。

ここで私が申し上げたいのは、上記のこととはちょっと視点が違います。
ヒントは、上掲した私の新型コロナウイルスワクチンで申し上げたことにあります。

端的に言えば、「自分が主体として社会に関わっているという実感」です。
正直、「コロナワクチン接種が面倒」と思われた方はとても多いと思います。
また一部のvtuberさんなどからも、「確定申告が面倒だ」という声もありました。
そして先月は、選挙がありました。

少し頭を冷やしてほしいのですが、「コロナワクチンを接種すること」「納税をすること」「選挙に行くこと」と、「美術展などの展覧会に行くこと」「なにかの体験をすること」というのは決定的に違う点があります。

それは自分が主体であるか、客であるかということです。
かのアリストテレスは「人間は社会的動物である」といったとされます。

言い換えますと、「すべきであるorしなければならないこと」か「単純に興味があることを消費する」というのは雲泥の差がある、とまで言えるのではないでしょうか。

私が上掲した「新型コロナワクチン接種」も、その「主体的な立場」として綴ったつもりでおります。そして、臨場感を持って皆様にツイートをいたしました。

何が言いたいのかというと、「大人の社会科見学」というのは「主体的に社会に参画できる貴重な機会」であるということです。
例えば確定申告であれば、税金のことについて調べたと思います。これは市民として知っておくべきことを学んだという意味で、見学です。
あるいはワクチン接種であれば、悉皆的に予防接種をする機会というのはなかなかなく、ワクチンについて調べた方も少なからずいたはずです。
そして、選挙であれば、何かの手段で政治について調べたと思われます。その体験が、大人の皆さんの、血となり肉となるのではないか、と私は思えてなりません。もちろん種々意見はあるとは考えます。

展覧会に行くことやなにか体験することも、もちろん興味深いことではあります。しかしそこはなにかお膳立てされ、参加する人のために造られた、本当(物)ではないなにかがあるように思えてなりません。言葉を変えると、当事者か否か、とも言いましょうか。なので単純にその「なにか」を消費して終わり、となるのです。

大人になると、「社会人」と言葉のさすとおり、社会から逃れて生活することは難しいでしょう。であれば、自分の仕事や家庭以外の活動は全部社会科見学なんだ、と思ってしまえば、なんだか意味をもたせることができるのではないでしょうか。

ここで2つほど、みなさんがこの文章を見て思っているであろうという事柄を推測して吟味してみようと思います。

1つ目は「自己啓発」です。
私は必ずしも自己啓発は否定しません。己の価値・意義を見つめ直す作業は意味があると思います。むしろ「大人になってからなにか学んで資格取得や教養を深める」というのは、素晴らしいことでしょう。

ですが、いわゆる「自己啓発○○」的なものは、実はお金を払って誰かの話を聞いたり、意見交換をしたり、実はとても自分が「お客様」になってしまってはないでしょうか。上述したとおり、私は「主体的に」ということに意味があると思っております。個人的な意見を言えば、「自己啓発○○」に参加するくらいであれば、新聞に目を通したり、趣味に時間を充てたり、あるいは自分の住んでいる街のことについて調べたりしたほうが、よほど意義があるのではないでしょうか。自己啓発したいがために自分が客になるなんて、ちょっと主客転倒しているように思えてなりません。もっとも、取材的に聴くのであれば(その人の話していることを情報として認識する)、意義があると思えますが。向き合い方の問題とでもいいましょうか。

2つ目は読書です。
これはある種、「主客」の間にあると思います。
かのデカルトは、「良き書物を読むことは、過去の最も優れた人達と会話をかわすようなものである。」と言ったとされます。
自分から何か働きかけている点では主体的ですが、誰かの話を見て読んでいるという点では、お客的でもあると言えましょう。
重要なのは、その書物にハマりすぎず、何が書いてあるのかを情報として蓄積することが肝要となりましょう。また、なぜその本を読もうと思ったのか、という動機を忘れないでおくのもいいでしょう。中には本に思ったことをメモ的に書き込んだり、重要と思った箇所に付箋を付する人もいるそうです。読了後、どこかに記録を付けるのもいいかもしれませんね。

今回は「おとなの社会科見学のススメ」ということで文章を綴りました。
どうしても社会人になると、「面倒だなぁ」「時間がなぁ」となりがちですが、「これもなにかのいい機会だ」と思えば、少し明るくなって前を向けはしないでしょうか(法に触れる行為はだめです)。

人間は、学ぼうという気力さえあればいつでも成長できると考えます。
どんな形で、どんな経緯であっても、新しいことに触れ学ぶというのは、いつの時代でどこであっても、何事にも代えがたい大事なことになると私は思うのです。


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