政経たんが他者を寛容する話
世の中には対立や分断は多くあります。
米国や英国や、ひいては我が国日本、というか世界的にさまざまな問題で解決どころか埋めがたい分断が生まれているように思います。
人は理性を持つ動物とされます。
故に人は古来より、話し合いで物事を解決してきました(もっとも最近はヒトでない動物も高度な社会を形成し、物事を解決しているという研究がなされていることも耳にしてはおります)。
そうでなくなると、止むを得ず血で血を洗う争いをしたのでしょう。あくまで実力行使は最終手段(のはず)です。
では話し合いとはどのようなことでしょうか。
己のよらしむところの意見と意見をぶつけ合い、どちらに合理性と正当性があるかを比較し合うのが話し合いである、それはそうでしょう。
しかしヒトには理性もありますが、それとは別に思想・信条というのもあります。
ムラや程度の差はあると思いますが、思想信条というものはその人にとって絶対的であり、譲りがたいものであります。
私見ではありますが、昨今の世界的な埋めがたい分断はかなり思想・信条によらしむところから来ているのではないかと思われます。
そこに理性があるかと言われると、暴力沙汰や紛争になっているのをみると、およそ言わなくても分かることではないかと考えます。
さて、ここでひとつの動画をお見せしたいと思います。
オーストラリア下院議員をされていた、モーリス・ウィリアムソンという方の同性婚への賛成討論であります。日本語字幕もありますが、英語を聞き読みできる方は是非トライしてみてください。
わたしがこれを見て思ったのは、彼の同性婚に反対される方への理解の深さです。
もちろん皮肉にも見える部分もありますが、彼は(以下概略します)
「この法案に反対される方の気持ち、それはこの法案が社会に与える影響の大きさへの懸念であります。それを真剣に考えておりました。それにわたしは敬意を評したいと思います。」
「(いろいろ例示した上で)おおごとにするのはやめましょうよ。この法案は愛し合うお二人に何か地位を与える、ただそれだけであります。それ以外の方には何もかわりはありません。」
「『この法案のせいで干魃が起きた』というお話をいただいたこともあります。しかしわたしのTwitterアカウントで申し上げた通り、その日は土砂降りでありました。そのあと大きなゲイの虹がかかったのであります(聖書でたびたび神との契約のしるしとして言及されます)。これは信心深い方ならば、何かのしるしでありましょう。」
「最後にまだ懸念を示される方へ、この一文を申し上げて、終わりにしたいと思います。申命記1章29節から。『恐れてはならない』であります(申命記とは、旧約聖書でのトーラーと呼ばれるユダヤ教・キリスト教でかなり重要視される箇所で、預言者モーセがエジプトからともに帰ってきたユダヤの民に最後にシナイ山で説教をした内容を綴った文章です)。」
まずは彼の教養の深さであります。
本論に入る前に彼は摂氏5000度ですぐに燃え尽きる、などとも言っていますが、この法案は反対される方が懸念するほど大した話ではないこと、最後に聖書を引用して反対される方へのメッセージにすること、聖書において神とのしるしたる虹を性的少数者の虹と重ねるなど、同性婚に反対される方々がどのような方々なのかよく知った上で話をしていることがよく分かります。
上記しましたが、人は理性的な動物であります。しかし思想・信条を持つ、情熱を伴う存在でもあります。もちろん論理で片付くこともあるでしょうが、そうでないことも多々あります。その場合は、反対されることへの思慮・理解、あるいは寛容さも時には必要なのではないか、と思う次第であります。
パスカルは、人間は考える葦だと言ったとされます。おそらくは、人は分断を乗り越える理性と思想信条があるはずだと、大昔から言われているわけです。
「こんなの阿呆の画廊だ!」と思われる方もいるでしょう。ですが、まだまだ我々は人類史の途中にいる、という事実も否定できないはずです。私たちは、どこから来て、なにものであって、どこへむかうのでしょうか。それは少なくとも、人にはすぐには知り得ないことかもしれません。
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