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興和紡績株式会社倉吉工場(倉吉市住吉町)

昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年12月15日号より、興和紡績株式会社倉吉工場の記事をご紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、事業内容・方針、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。一部数字を漢数字から英数字に変更。


【事業所めぐり62】興和紡績株式会社倉吉工場(倉吉市住吉町)



倉吉ではグンゼ㈱に続く紡績工場として、戦後間もなくの昭和26 年12月に設立された。戦前から現在地で操業していた工場をそのまま買収、当初は綿紡工場としてスタートしたが、28年にはスフ綿の加工も手がけ始めた。

その後も撚糸機、織機などの諸設備を取り入れ、好況の続いた36 年くらいまでは業務も順次拡張してきたが、後進国の追い上げが厳しくなった37年を境に織機、撚糸機などを次々と廃棄、49年以降は綿紡とスフ紡の加工一本にしぼって操業を続けていた。しかし、スフ紡も市場価格が安く、既に採算割れの状況になったため、ことしの9月には綿紡一本にしぼって加工を行っている。

同社は、この倉吉エ場のほかに三重県伊勢市の松阪工場、愛知県の知立工場があるが、いずれも原料を本社から一括購入して、蒲郡、浜松、近江の泉州などの織物地帯、それにタオルの生産地である愛媛県の今治市などへ出荷している。本社のある名古屋市は周辺に織物産地を控えていることもあって、創業は大正元年10月と古い。

同社で働く従業員は男性124人に対し、女性が347人と圧倒的に多いが、近年のめざましい技術革新と福利厚生関係の諸施設の完備によって、かつていわれた「女工哀史」も今では完全な昔話。図書室や華道、茶道の教室、それに娯楽、体育施設のほかに特筆すべきものとして、同工場の敷地内には向陽台高校という同社専用の高等学校がある。これは中学を出て働く女子従業員が多いために、夜間に学びたいという社員の要望に応えたもので高卒の資格も取得できる。

とにかく「銀行が参考にするために見学に来る」(西本良総務課長)というほど福利厚生施設については万全の体制。また、同工場の大半は鳥取、島根両県による地元出身者によって占められているが、山陰人の特徴なのか「三工場の中でも職場規律は最高」と西本課長もいう通り、温和な人柄が多い風土性がさいわいしている様子である。しかし、平均年齢が24歳という若さから、結婚したら退職して行くケースが多いことがわかる。

低賃金による労働コストの軽減、機械設備の導人による技術革新によって品質、価格とも後進国が急激な追い上げを見せ、完全な構造不況業種の様相をみせている紡績業界だが、日本独自の技術と方法で製品開発を積極的に推し進めるなど、各社ともこの危機乗り切りに懸命である。

同工場の昨年の生産高はおよそ26億3500万円だが、今後の生産方針については「現状規模のなかで近代化、合理化を図って行きたい」としており、急激な業況回復が望めない情勢では口調も湿りがち。しかし、最近は消費者の間にも静かな綿ブーム、見直し論も起こってきているため「将来性はある」と悲観はしていない。このため、中途退職者が多いことから実質的には増員とはいえないが、来春も約60人の採用を予定している。(昭和52年12月15日号)



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