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山本工業株式会社(鳥取市松並町)

 昭和52年2月の創刊時から連載されていた、山陰の事業所を紹介する『事業所めぐり』をnoteで順次紹介。今回は昭和52年4月5日号より、山本工業株式会社を紹介します。
※地名、会社名など各種名称、役員、広告内容等記載内容は掲載当時のものです。

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【事業所めぐり11】山本工業株式会社(鳥取市松並町)


「県東部地区では業界中最大手」といわれている。山陰両県の道路・河川・港湾工事、アスファルト舗装、ビル建築など、その設計と施工を中心に付帯事業として生コン・防災用ブロックの製造・販売も行う“総合建設業者”である。

前身は明治42年、鳥取市三軒屋(現在の本町)で、個人創業の山本組。昭和24年、三代目代表が資本金200万円で、現称、山本工業㈱に法人改組した。ところがその後、経常が悪化。解散寸前にまで追い込まれたことがあった。
34年、岩谷政春現代表(当時副社長)が会社をそっくり継承し、社長に就任。同社再建への第一歩を踏み出す。

苦難時代を乗り切り、着実に経営基盤を確立したのち、高度成長期に人って、飛躍的に業績を伸ばした。41年から48年にかけては、毎年、黒字の連続で、文字通り“高度成長”。業界自体も上伸の一途だった。

しかし、48年10月のオイルショックを契機に、業界は縮小気味。下降線をたどる一方。大手企業の地元進出がこれに拍車をかけ、受注·工事量ともに減少。現在も倒産が相次ぐなど業界はまさに混迷の度を深めている。

同社も例外ではなく、49年以降は、不振で、50年度の年商は約30億円。昨年度もほぼ同額にとどまっている。

同社はこのような事態に対処すべく、①昨年、一昨年とも新規採用を中止②給料日の晩には、社員役員を集めて懇談会を開く③むだを省き、運転資金の円滑化を図る―など経営の合理化とともに、社員の精神的団結の強化を図っている。

また、52年度の県内農林・土木向け予算も地元業者で消化できるよう県や市にはたらきかけている。

“誠実と勤勉”をモットーにする同社長は、「借金に苦労した時代を思い起こし、社会・経済・業界それぞれの情勢を見極めつつ、一歩一歩前進していきたい」と語っている。(昭和52年4月5日号)

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