見出し画像

ハンドリングは言語化できる【アートや感覚という言葉で終わらせない】

一般的に抽象的で感覚的だと言われるハンドリングも言語化できる

ハンドリングは数値やデータで示すことができる、いわゆる客観性みたいなことがかなり少ないために敬遠されがちです。

EBMが叫ばれているこの時代は、エビデンスがないことを患者さんに提供するなという流れが顕著にあります。そのために、明確なエビデンスがないハンドリングはEBMからは離れた存在でしょう。

データやエビデンス、EBMは当然に重要だと思います。しかし、いくらn数を増やしても一部の数値やデータ、傾向を用いて解析したことがあたかも全体の特徴であるかのような語られ方、その結果が真理であるような語られ方は注意が必要で、個人個人が注意する必要があります。

このような数値や理論で物事を語ることは、一般的には自然科学と言われます。一方でハンドリングは経験科学に分類されると考えています。ハンドリングも科学として語ることができるんです。

今回は、ハンドリングを科学するための基本的な方法を自分なりの視点で解説します。


♦︎「アートだよね」という揶揄

自分がハンドリングを学び始めた時、周囲から言われたのが「それってアートだよね」「感覚的でエビデンスがないよね」などということでした。

つまり、教科書や論文では語ることができないものは、かなり避けられやすいということです。だから、ハンドリングの知識やスキルを用いて介入し、一定の結果が得られたとしても、その変化を自分自身が説明できたとしても、他のセラピストからはあまり信用してもらえないんです。

このあたりは、ぼく自身がかなり感じてきたことです。ハンドリングを広めていこうとするときになかなかこのあたりが障壁になって、興味を持たれないことが多いと感じます。

だから、理解できないことを「アート」というような表現で揶揄しているに過ぎないとぼくの勝手な解釈をもとに学びを続けてきました。

しかし、この周りに伝われないことはぼく自身の臨床の仕方を少し変えることになります。それが自分のハンドリングを言語化する取り組みです。

♦︎言語化と経験科学

自分はハンドリングを言語化することで解像度を上げようという試みを始めました。それは、ハンドリングの勉強を始めた2015年から少し経ったことです。

自分が操作したことやその反応が、なぜそのように感じるのかを自分の言葉で説明できるように意識しながら臨床を進めました。自分自身では、この言語化することは”科学”でもあると考えています。

経験科学という言葉をご存知でしょうか。経験と実験を繰り返し、患者さんの変化や反応を見ながら反復する。データや論文からでは得ることができない貴重なその人の情報を得ることができます。

つまり、自分の感覚を頼りにアウトプットして、その患者さんの反応という結果を見ていき、その反応から自分の行動や手技を変えていきながら反復して得た自分なりの知見やスキルは十分に科学的です。

♦︎ハンドリングの言語化の仕方

では、実際にどのように経験科学的に自分のハンドリングスキルを高めていくかを解説します。

自分が考える経験科学の活用方法の第一歩は、起きた反応や感覚、自分がやっている動かし方などを”言語化”することです。

他動的に動かしていると、色々な感覚を得ることがあります。人間の皮膚や関節、軟部組織には固有感覚という高度なセンサーがあります。臨床の中で感じる違和感やちょっとした感覚の違いはこの固有感覚が作動して検知しています。この固有感覚が検知した違和感や感覚の違いを、なぜそうなのか、どこが原因で発生してるのかをあれこれと言語化していくんです。

多くの人は臨床の中で感じた違和感やちょっとした感覚の違いを無視してしまい、ピックアップしません。ある程度経験を積んでくるとこのような違和感を感じる力が高まってきているはずです。

つまり、手さきだけではなく皮膚や関節、筋など身体全体で感じること、固有感覚というセンサーを使うということが第一歩になります。


今回はこれまで。
最後まで聞いていただきありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?