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昨日はヨガにおける正しい姿勢ってどんなものかなぁと、思うことを綴ってみました。

いつもながらまとまりなく。

さて、今日はヨガのたべもの

書き始めたら、長くなりそうなので端的に。

食べ物ってなに

毎日何かを食べていますね。

最近は(昔もいたのかな)不食の方もちらほらと。

食べないほうが調子いい。

そんなことを感じる場合もありますが、やっぱり食事はちゃんととっています。

あなたはなぜ食べてますか?

生まれた瞬間、人は母乳を求め、母へと口を寄せていきます。

一心不乱にその口から新しい生きる力を取り入れていきます。

そして、口が刺激され、腸が動き、肛門が刺激され、排せつが始まる。

外部との繋がり、つまり摂取と排泄という2つの働きが生まれ落ちた瞬間から始まります。

もちろん胎内でも、母親からのエネルギーを摂取していますが、直接的な外部との繋がりではないですね。

食べるということは

「外部とのつながり」

であると言えます。

そして、食べ物は

自分の力で生み出すことのできない、自分を活かすためのエネルギーであり、自分が取り入れられる形として存在しているものです。

少なくとも、人は、栄養を自分で生み出すのではなく、あらゆる形になって固定されたエネルギー(食べ物)を摂取することで生きています。

食べるは繋がり

食事については、いろいろな主義、考え方、思想がありますから、「何が良い」ということを言い始めると「反対」が生まれてきやすいコンテンツですね。 イズムとなりやすい。

私はこう考えています

食べるということは繋がり。

自分と外部がどう関係しているのかを考えて見つめるもの。

何をどう食べると自分の体の働きに影響を与えるかという生理的なものへの意識もその一つ。

自分の今目の前にある「たべもの」には、多くの時間と歴史、人で言うと人生が詰まっています。

その時間と関わり合い、自分を活かすために目の前の存在を自己化すること。

そして、自己化したら「その力をどう発揮するか」を考えます。

そして、食事

私は、食事という行為で心がけている「想い」があります。

食べ物は、それが化学調味料のタップりと含まれているものや、輸入の牛肉や豚であろうが、食べられる、食べさせていただけることへ「感謝」します。

じっと目の前の食事を見つめます。

そして、しっかり食べます。

大事に食べます。

そのうえで、

その食べたものが最高に自分の体で力を発揮できるように意識します。

摂取の次は「発揮」です。


力は出すもの。


食べ物ではなく、食べ方。

「よい食べ方をすると心も体も健康になり、間違った食べ方をすると病気になる」と、教えられ育ちました。


そんなことを考えながら食事をすると、たべものとのヨガも少し見え方が変わるのではないかな。



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