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星降る日

『人類最後の日まで残すところ1日となりました』

この現実味のないニュースに慣れないまま、もう3年が経とうとしている。数年前、新型のウイルスが世界中で流行し未曾有の事態を引き起こしたことも記憶に新しいが、初めてニュースを見た日「隕石とはまた、はるか上をいく緊急事態だな」とこぼしてしまったことを覚えている。ともあれ明日には巨大隕石が落ちてきて、人間はおろか、地球すら消えてなくなってしまうらしい。
隕石が発見された3年前、僕は第一志望の大学に落ちて滑り止めの大学へ通い始めた頃だった。僕にとっては「何者にもなれなさそうな人生」が本当に何者にもなれないまま終わると告げられただけな気がして、かえって楽だった。3年後に死ぬことが決まっても普通に学校に通い、バイトをし、サークルで友達を作って過ごした。周りも最初は急なことすぎて呆気に取られたり迷信だと信じなかったりで普通の生活をおくっていたけれど、ニュースやワイドショーの報道、ネットの記事に隕石のことが増えるにつれ焦りだして、なんとか最後の思い出を残そうとし出した。友人の中には貯金を全部使って死ぬまでの3年間を海外で過ごすことを決めたやつもいれば、一日東京ドームを貸し切って大イベントを行うやつもいた。世間じゃ自費で本やCDを出したり、映画を作って劇場やネットで配信したりするようなやつらも増えていた。誰も彼も生きた証を残したかったのだろうし、そのおかげでこの3年間、確かに世界は活気づいていた。
だけど僕は大金を使っていつもと違うことをすれば生きた証になるとは思えなかったし、他にしたいこともなかった。僕は昔から天文学に興味があるが、惑星の軌道が決まっているように人間の運命もきっと生まれた時から決まっているんだ。どれだけ僕らの意思が介在しようが結果は変わらなくて、だったらそのどれもが存在する意味なんてないんだ。僕の大学受験や今回の隕石がいい例じゃないだろうか。だから僕はいわゆる普通の生活を続けたまま大学4年生になった。だもしかしたらそういう考え方のせいで何者にもなれない平凡な男になってしまったのかもしれないけど、やっぱりそれでも何か行動を起こしたいという気にはなれなかったのだ。

ところで僕は天文サークルに所属している。同学年にユウキさんという友人がいるが、入部当時から彼女もかなりの天文マニアだった。同じ熱量で宇宙や星々について語り合える人は他にいなく、僕らが打ち解けるのに時間はかからなかった。ただ一つ、僕は星の軌道や公転周期が28年でちょうど一周するといった、宇宙の流れの理路整然としているところ好きで、彼女は遠くの宇宙人とか、人間が住める別の惑星とかまだ解き明かされていないような宇宙の神秘に魅力を感じていたという点で違いはあった。だけど僕らはお互いを尊重しあっていたし、たびたび二人で星を見に出かけることもあった。湿気が体にまとわりつくような夏の夜も、冷気が肌に突き刺さるような冬の夜も彼女と星を見る時間は苦にならなかった。いつしか望遠鏡を覗く彼女の整った小さな横顔も、空を指す白くて長い指先も、流れ星を見つけた時の少し高くて細い声さえも愛おしいと感じてしまっていてこれは恋なんだと気づいた。でも僕は恋愛なんてしてこなかったし、誰かに深く干渉してきたことなんて一度もなかったから思いの伝え方も分からなかった。それにどうせすぐ死んでしまうんだから伝えなくたっていいだろうと思っていた、彼女から「死に場所探し」の提案を受けるまでは。「死に場所探し」とはここ何ヶ月かで流行り始めたおそらく地球最後のイベントで、「どこで誰と死ぬかを選ぶ」というごく単純なものだが、大抵は恋人や夫婦、家族と一緒に過ごすという風潮だった。つまり彼女が死ぬ最期の一瞬を過ごす相手に僕を選んだということはもしかしたら、いやかなりの確率で、そういうことなのかもしれないと思った。生まれて初めて村人Cみたいな平凡な人生を抜け出して主人公になりたいと思ってしまった。最後の夜彼女に思いを告げて、それから死のうと決めた。


僕らが死に場所に選んだのは、何度も二人で天体観測をした裏山。各宗教の聖地は混雑や暴動が予想されるため高額の入場料を払う必要があったり、死地として人気になりそうなスポットはツアーが組まれていたりと、世の中じゃかなり大規模な興行と化しているけれど、僕らにとっての聖地は間違いなくこの裏山だった。ちょうど今夜も隕石が落ちる数分前に流星群が見られる。あたりが薄暗くなり始める頃、山の麓の地蔵の前に望遠鏡とラジオと寒い夜を越せるような分厚めの上着、それから二人分のカップ麺とお湯の入った魔法瓶を持って、僕らは集合した。全てがいつも通りすぎて本当にこれから死ぬのだろうかと今更ながら信じられない。
「お待たせ、ミウラくん」
「おはよう、行こうか」
最後の夜の彼女はなんだかいつもより美しくて、少し緊張してしまう。
「こうやって二人で星を見に行くのも、もう最後ね。私ミウラくんが教えてくれるまでカップ麺食べたことなくてさ、それも最後かぁ〜と思うと名残惜しいよ」
「最後の晩餐がカップ麺だよ?本当にいいの?」
「いいのよ、その方がなんか普通で。もし今夜私たちだけが死ぬとしたらそれは劇的な死だったろうから、最後の晩餐も豪華な方がいいかなとも、少しは思うけど、寿命間近のおばあちゃんも、今日産まれたばっかりの赤ちゃんも、みーんな一緒に死んじゃうんだよ。だから私たちの死も、特別でも何でもないの。だからいいんだよ、いつも通りのカップ麺で」
「確かにそうかもね。あ、この道でさ、昔ユウキさん怪我したんだっけ」
「そう、ミウラくんおぶってくれて大変だったっけ」
いつもは少しきつい斜面に集中してしまってあまり会話のない山道も、その一歩一歩が最後だと思うと寂しくなってしまい、それを埋めるように会話をしながら上まで登った。

僕らが星を見上げるのはいつもこの開けた広場。昔天文台を作る計画が持ち上がったこともあるらしいが、予算の関係で頓挫してしまい広場だけが残ったのだ。広場に着くと、僕が望遠鏡を設置して、彼女がラジオの周波数を合わせる。幾度となく繰り返すうちに何も言わなくてもお互いがこの作業をこなすようになった。この少しの静寂が結構好きだったりする。いつ彼女に告白しようかと、逸る気持ちを落ち着かせながらレンズを覗くと、空はもう冬模様だった。
「あ、オリオン座だ!望遠鏡からも綺麗に見える?」
「うん、今日は空気も綺麗でよく見えるよ、遠くの星も。すごく綺麗だ」
「もう冬なんだね。本当に綺麗だよね冬の空って。こんなに綺麗な空から隕石が降ってくるなんて信じられないなぁ、奇跡でも起きて助からないかなぁ」
「ユウキさんはさ、やっぱり生きてたらしたいことまだまだあった?」
「そりゃあったよ!イエローナイフでオーロラだって見てみたかったし、極大の流星群だって見たかったし、白夜も経験したかったし、それに最近面白い本増えたじゃない?私まだ読んでる途中なのにさ、今日死んじゃうなんてあんまりじゃん」
彼女は僕と違って希望ややりたいことに満ち溢れていて、急に眩しく見えてきた。何にだってなれるんじゃないかというエネルギーをいつだって感じさせられる。
「奇跡っていえばさ、この三年地球がなくなるって分かってからさ、世界中の戦争がなくなった話知ってる?飢餓も難民も、残り三年なら受け入れられるって理由でなくなったって。長い歴史の中でずっとなくならなかった争いがなくなったんだよ。そんな奇跡みたいなことが起こるんだからさ、もしかして何か起こって、僕らだって助かるかもしれないよね」
「へぇ、ミウラくんが奇跡だなんて珍しい。今日は隕石でも降るんですかね」
「笑えないよ」
「あはは」
二人で笑っている時間だけで十分だった。本当にずっとこの時間が続けばいいと思った。
「あのさ、僕が奇跡なんて口にしちゃうのは、ユウキさんと一緒にいられるからで、今日がずっと続いてほしいと思うからで、つまり、あなたのことが好きです」
言ってしまった。さっきとは違う静寂がやけに長く感じる。
「ふふ、知ってたよ。いやーでもまさか、ミウラくんが告白してくるなんてなぁ、この三年さ、ほんとに世界はどんどん変わって、普通に学校に通って普通に生活してるのなんて本当に少なくて、残りの人生に世界中必死で。みんなきっと自分で選んできたっていう実感がほしいだけなんだろうなって、そんなことしたって虚しいだけなのにって内心見下してたんだけどさ、違った。私もミウラくんといる普通の日々を選んできてただけだった。好きだよ」
耳が熱い。世界中が無音なような自分の心音だけがやけにうるさいような。とにかく今なら死んでも幸せだと思った。

『速報です。巨大隕石及びそれの関連記事が全て事実無根だったと、NASAが発表しました。詳細については…』


後日、首謀者は大国の政府だったと明かされた。動機は行き詰まった国内の景気を促進するためだったとか、なんとか。まんまと世界は踊らされた、というか劇的に変化した。もう二度と元には戻らないだろう。僕はといえばあの夜、流れる星を見ながら初めてのキスをした。今なら、何にだってなれるような気がしている。


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