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穴のない日々

ドーナツの真ん中にあるのは穴だろうか、あの空間がなければドーナツと呼ばないのだとしたら、ドーナツのアイデンティティとも呼べるその空間を欠落みたいに語るのも違うような気がする。


夏があまり好きじゃない。誰も彼も浮き足立っていて、何かに期待した顔をしている。短い季節の眩しさに浮かされて、賭けに出るみたいな雰囲気が苦手だ。そういう他人の期待がが僕に向けられることもしばしばで、手には余ると感じてしまう。そんな期待に応えることに時間を取られて、体験がそばから自分を離れていくようなことも多かった。向けられた期待を上手くあしらうだけの器量があればよかったのにとも思う。


あと、ここしばらくは言葉がうまく出てこなかった。アルバイトの学習塾で国語を教えている時に、どれだけ丁寧に説明しても伝わらなくて国語のどこが苦手か聞いたことがある。彼は「よく分かんない、何を言ってるか分かんない」と言って体を痒そうにしていた。こちらが国語の魅力を伝えるだけの文章力を持ち合わせていないのはもちろん、言葉がつたない彼の方がよっぽど心象を体全体を使ってうまく表せているじゃないかと、心を折られてしまった。僕が言葉で何か表現することにどれくらい意味があるんだろうか。


ドーナツにはしてあげられることが自分にはできない。
自分にとってできないことは欠落でしかなくて、穴が空いたままの日々が続いている。
自分の行動を振り返ると、愚かだったと思うことの方が多い。そんな痴態を晒してでも、この先に進めないと思ったからここに書いておく。

もうすぐ夏が終わる。

YOJHO


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