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職務給は、いい意味で名ばかりとなることは避けられない(3)・・・普通の従業員の活躍こそ、人材マネジメントの最重要課題

2023年6月15日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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*新しい資本主義実現会議がとりまとめた「三位一体の労働市場改革の指針」では、「キャリアは会社から与えられるもの」から「一人ひとりが自らのキャリアを選択する」時代になってきた、との認識を示していますが、これによれば、従業員の能力開発から職務=ポジションへの任用のプロセスは、次のようなものとなります。

(職務の明確化)
企業内のそれぞれの職務=ポジションについて、職務内容と必要なスキルなどを明示した職務記述書(ジョブディスクリプション)を作成する。国内外のグループ企業で共通の制度とする。
 ⇓
(キャリアプランの実現に向けた能力開発)
従業員は、自分の希望する職務への異動やキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、上司と相談しつつ、自分の意思でリ・スキリングに励む。
 ⇓
(職務と人材とのマッチング)
職務記述書に基づいて、職務と、それに必要なスキルを持つ人材とのマッチングを図り、人材を最適配置する。ポスティング制度も活用する。

*こうした任用のプロセスは、大変ロジカルで美しい姿だと思いますが、
・多くの勤労者、従業員にとって、果たして現実的なのか。
・職務給に転換しなければ、実現できないのか。
について、検討する必要があると思います。

職能給の場合でも、職務記述書を作ることはできる

*まず第一に、職務ごとに職務内容と必要なスキルを明らかにする職務記述書ですが、職務給制度の下では職務記述書の作成は必須ですが、職務記述書を作るのは職務給の場合だけ、ということにはなりません。職能給の場合でも、スキルと職務を結び付けるために職務記述書が必要であれば、作成すればよいだけです。

*ただし、米国では1990年前後から、
・詳細に定義された職務のあり方が、一方では従業員の柔軟な働き方や能力開発を制約し、他方では環境変化に対する組織の適応力を制約している。
・環境変化が激しく新しい業務が絶えず発生する状況下では、常に新たな職務の設計や既存の職務記述書の見直しを行わなければならない。このことは、環境変化の程度に比例して職務を改廃するコストが高まることを意味している。
との認識が広まって、
・既存の職務と等級を大括り化し、従来よりも幅広い働き方を促したり、職務価値よりも従業員の能力的側面に注目した処遇を行う「ブロードバンディング」
・高い業績の者の思考特性や行動特性を人材育成上の指標として評価や処遇に活用する「コンピテンシー」
という仕組みが広がりました。これが、「脱職務主義」「職能給化」と言われるものです。職務が大括り化されれば、職務記述書も当然、包括的なものとなります。

*職務と職務等級が大括り化され、同一職務等級における賃金の幅が拡大し、その中で、成績とコンピテンシーによって賃金決定がなされる、ということになると、職務の世間相場という点が強く意識されていることを除けば、もはや賃金が職務に紐づいている、と言えるのかどうか、はなはだ疑問です。

*昇進についても、上位等級の職務に空席が生じた場合に、空席補充のための昇進が行われるだけでなく、職務内容や働きぶり、スキルが高度化した場合には、本人の職務自体は変わらないまま、相応しい職務等級に引き上げるということも行われているとのことです。

*ちなみに、国内外のグループ企業で共通の制度とすることは、賃金水準そのものを共通にすることが想定されていない以上、何の意味もありません。また、5月16日に掲載した「ジョブ型雇用は、いい意味で『名ばかり』となることは避けられない(1)」で触れているように、賃金制度はその国の社会環境を反映し、賃金制度以外の諸制度とともに形成されてきているものなので、仮に職務給に転換した場合には、賃金以外の諸制度、たとえば定年制や所定外労働、不況時の雇用調整などについても、職務給との整合性を図っていかなければなりません。諸制度全体の見直しができなければ、さまざまな歪みが生じることになりますが、その点については、あまり認識されていないようです。

普通の人がキャリアプランを描き、自ら能力開発を行って、キャリアプランを実現することができるのか

*従業員が、自分の希望する職務への異動やキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、上司と相談しつつ、自分の意思でリ・スキリングに励む、というのは、職業人としての人間形成と自己実現のために、大変すばらしい、理想的なプロセスのように見えます。

*問題は、
・勤労者のうちどれだけの人々が、適切に自らのキャリアプランを描くことができるのか。
・どれだけの人々が、自ら計画した能力開発を貫徹し、キャリアプランを実現することができるのか。
・相談される上司は、部下のキャリアプランや能力開発に責任が持てるのか。
ということだと思います。

*「指針」では、個人に対し、「将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択肢を把握しながら、生涯を通じて自らの生き方・働き方を選択」するよう求めていますが、少なくとも、「将来の労働市場の状況やその中での働き方の選択肢を把握」することなどは不可能です。現状では、デフレを容認しない金融政策が採られているので、人手不足の状況となっていますが、金融政策次第では、たとえ超少子高齢社会であっても、過剰雇用の状態に戻ってしまいます。

*いまはDXを開発する人材だけでなく、DXを使いこなす人材が求められていますが、ICT(情報通信技術)の使い勝手がよくなれば、DXを使いこなすという発想すらなくなってしまうことになります。古い例ですが、かつて、自動車を運転するためには、ギアチェンジやクラッチの操作という技術が必要でした。AT限定免許の登場によってその必要がなくなり、そしてこんどは運転技術そのものが不要になろうとしています。ICT分野も同様です。

*結局、DX開発人材などを含め、高度専門人材については、「自分の描くキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、自分の意思で能力開発を行っていくこと」が可能であり、不可欠でもありますが、高度専門人材ではない普通の勤労者にとっては、こうしたプロセスは絵空事と言わざるを得ません。

*残念ながら、多くの場合、人間の意思(意志)はそれほど強いものではありません。自主的な能力開発で初志貫徹できる人は、あまり多くありません。多くの人々については、仕事上の必要に迫られて取り組む能力開発が最も合理的で効率的だと思います。意思(意志)の弱い人間はついてこれなくてもしょうがないと考えるのと、普通の人、多くの人が活躍するためにはどうするかを考えるのとでは、人材マネジメント、賃金制度はまったく違ってきます。

*キャリアプランや能力開発に関して相談を受ける上司にしても、将来どころか、次の人事にさえ責任が持てないのですから、結局、過去の経験や事例、活用できる社内制度を紹介することぐらいしかできないと思います。特定の従業員に対し、会社に明確な育成方針がある場合には、上司から強い働きかけがあると思いますが、その場合は逆に、「自らの生き方・働き方を選択」することになりません。

スキルと職務(ポジション)とのマッチングの問題

*「指針」では、職務給によって賃金の客観性、透明性、わかりやすさを確保することを主張していますが、前述のような職務の大括り化の問題を無視するとしても、そもそも職務への任用、すなわりスキルと職務(ポジション)のマッチングにおいて、客観性、透明性、わかりやすさが確保されなければ、賃金の客観性、透明性、わかりやすさも確保できません。

*たとえば大学入試であれば、点数順に合格通知を出せば、客観性が確保されます。法学部と経済学部のどちらも合格した受験生が、どちらに入学するかは、受験生本人が決めればよいことで、大学側には関係ありません。

*しかしながら、職務への任用の場合はそうはいきません。仮に、ある職務に必要なスキルがひとつだけだったとしても、そのスキルの最もすぐれた人をその職務に任用すればよい、というわけではありません。職務に必要なスキル、個人の保有するスキルをすべてデジタル化し、任用の成功事例、失敗事例、その時々の事業環境などがすべてインプットされていれば、誰を任用すべきか、AIが判断してくれるかもしれません。しかしながら、スキル以外の要素、たとえば性格とか相性を考慮しようとすれば、そもそも何が客観的なのか、ということすら不明です。「あなたはスキルは十分だが、あなたと衝突しやすい性格の人と同じ課に所属することになるので、その職務に任用できません」という説明があっても、納得できないのではないでしょうか。

*また、仮に強い意思(意志)を持った従業員が、自分の描くキャリアプランの実現をめざし、自分の持つスキルと要求されるスキルとのギャップを埋めるため、自分の意思で能力開発を行っていったとしても、自分の描いたとおりのキャリアプランが実現することは、むしろ例外です。挫折した従業員にどう活躍を促すかは、人材マネジメントの重要課題です。

*ちなみにポスティング制度は、職能給の下でも実施可能であり、職務給を導入すべき根拠とはなりません。また、米国においても、内部公募が優先であることに留意する必要があります。

*米国企業に関するこれらの情報は、石田光男・樋口純平(2009年)『人事制度の日米比較』ミネルヴァ書房によるものですが、この書籍は、ジョブ型雇用に関する基本的な教科書とも言える湯元健治・パーソル総合研究所(2021年)『日本的ジョブ型雇用』日本経済新聞出版でも引用されており、ジョブ型に対する考え方の違いを超えて共有すべき情報だと思います。

*「指針」では、職務給への転換について、「個々の企業が具体的に参考にできるよう、事例集を、民間企業実務者を中心とした分科会で取りまとめる」としていますが、成功しているのかどうかわからない日本企業の事例集ではなく、欧米企業の動向について分析を深めることにより、日本企業の競争力を高める人材マネジメントのあり方について、情報提供を行っていくべきだと思います。

結局、ジョブ型人材マネジメント導入論は何を意図しているのか

*職務給を柱とするジョブ型人事=ジョブ型人材マネジメントは、
・非正規雇用を中心に人材を確保し、マニュアルに沿って仕事を進めていく「駒」型人材活用スタイル
・主に高度専門人材を対象とする「モジュール」型人材活用スタイル
には適していますが、従業員の保有する技術・技能、情報や知恵、ノウハウの蓄積が競争力の源泉となっている産業や職種における「乗組員」型人材活用スタイルには適していません。

*「指針」を読むと、あたかも勤労者全員が高度専門人材をめざせ、と主張しているように見えます。しかしながら、当然、そんなことは実現不可能なので、結局、職務給への転換によって高度専門人材の賃金を大幅に引き上げる一方、そうではない多数の勤労者については、「乗組員」型人材活用スタイルから、「駒」型人材活用スタイルに転換させ、人件費を引き下げて、高度専門人材の賃金引き上げの原資とする、ということになります。これは、「労働移動の円滑化」が推進されていることとも、整合性があります。また、遡れば、1995年に発表された旧・日経連の報告書『新時代の「日本的経営」』で打ち出された「雇用ポートフォリオ」、すなわち長期安定雇用は幹部社員のみ、一般職・技能職などそのほかの従業員は非正規雇用にする、という考え方ともマッチしています。

*しかしながら、こうした方向性については、
・そもそも、日本が国際競争力を持っているのは「乗組員」型人材活用スタイルが中心の分野であり、「モジュール」型人材活用スタイルの分野については、競争力があるとは言い難い。「乗組員」型人材活用スタイルを捨て去ることは、得意な分野を捨てて、不得意な分野に国の命運を賭けることになる。
・「駒」型人材活用スタイルでは、エンゲージメントやモチベーションを長期的にわたって維持することは困難である。生産年齢人口の減少が進んでいく中では、一部の高度専門人材に頼った成長戦略でよいのかどうか、全員野球型の成長戦略こそが必要なのではないか。
・「駒」型と「モジュール」型との二分化・二極化は、必然的に所得や資産の格差拡大をもたらすことになるが、これは岸田内閣の掲げる「分厚い中間層」とは対極の姿になる。少子化の要因は、経済的な理由や将来の子育て費用に対する不安により、そもそも若者が結婚できない、子どもを作れないということにあるが、二分化・二極化は少子化を加速させることになる。
・「駒」型人材活用スタイルの対象者が国民の多くを占めるようになれば、政府がさまざまなサービスを提供していくことにならざるをえない。一部の者が多額の税負担を負い、大多数が給付を受けるという構図に持続可能性があるとは考えにくい。
ということが言えると思います。

*日本の経営の本質は「流行経営」なので、今後、「ジョブ型」と名付けられた人材マネジメントが続々と導入されてくることになるものと思われます。しかしながら、米国の状況を見ても、とりわけ「100年に1度」と言われる大変革の中では、賃金を職務に紐づける職務給は、結果的に「名ばかり」とならざるをえません。

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