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経団連『2023年版経営労働政策特別委員会報告』の受け止め方(3)

2023年1月24日
一般社団法人成果配分調査会代表理事 浅井茂利

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4.国際比較で見たわが国の低賃金と労働分配率低下の要因について

(高賃金高生産性)
*経労委報告では、
・(雇用者1人当たり賃金の)2021年の水準(米ドル換算値)は、OECD加盟34ヵ国中24位に低迷し、グローバルレベルでの人材獲得において、わが国の競争力は低下している。
と指摘していますが、その原因として、
①日本企業の多くが価格競争下に置かれており、日本のマークアップ率が欧米諸国や中国に比べて低い水準にあり、付加価値に見合った適切な対価が設定されていないために、名目労働生産性を低迷させ、賃金の伸び悩みにつながっている。
②女性と高齢者の労働参加の進展と、それに伴う有期雇用・パートタイムの構成比の上昇が、わが国全体の平均賃金を押し下げている。
ことを挙げています。
 
*①については、わが国の名目労働生産性が国際的に見て低いことは否定できませんが、人件費の水準は、名目労働生産性が低い以上に低いという実態があります。むしろ人件費水準が低いために、わが国企業では「低コスト志向、ローリスク志向」が定着し、厳しい「価格競争」が展開され、「付加価値に見合った適切な対価が設定」できず、「名目労働生産性を低迷させ」ていると言えるのではないでしょうか。「高賃金 → 高生産性」の産業活動・企業経営に転換していくことが不可欠となっています。

 (同一価値労働同一賃金)
*平均賃金だけでなく、労働分配率が長期的に低下してきた状況では、②について、「だからやむをえない」ということにはならないので、ILO憲章などで謳われている「同一価値労働同一賃金の原則」を実践していかなくてはなりません。また1990年代後半以降、中高年層の賃金水準が低下してきていることも、「平均賃金を押し下げる要因」のひとつとなっていることに、とくに留意する必要があります。

(付加価値における子会社からの配当金の取り扱い)
*経労委報告では、財務省「法人企業統計」で企業収益ベースの労働分配率を見る場合、
・分母の付加価値には、純粋持株会社が海外子会社から受け取った配当金(海外企業が生み出した付加価値の一部)やロイヤリティ収入が含まれている可能性がある(中略)ため、国内企業が生み出した付加価値の分配状況をより正確に捉えるには、純粋持株会社を除いて考えた方が適切な場合もある。
と指摘しています。しかしながら、海外子会社に対しては、単に金銭的に出資しているだけでなく、国内事業において従業員が蓄積してきた技術・技能、情報や知恵、ノウハウなどを移転し、人材も出向させている場合が多いものと思われます。そうした技術・技能、情報や知恵、ノウハウに対する対価(配当金やロイヤリティ)が、「国内企業が生み出した付加価値」に含まれるのは当然のことであり、国内従業員への成果配分の原資となってしかるべきだと言えます。
 
*なお、経労委報告では、
・事業持株会社(単体)では、子会社からの配当金は営業外収益に計上され、付加価値には含まれない。
と指摘し、純粋持株会社の場合も労働分配率の分母である付加価値から、子会社からの配当金を除くことを正当化し、これによって、労働分配率の低下の度合いが、実は「緩やか」であることを主張しようとしています。しかしながら子会社からの配当金は、子会社の営業純益の一部、付加価値の一部であり、個別企業ではなく「法人企業統計」において労働分配率の集計を行う場合には、労働分配率の分母である付加価値の中に含まれていることは明白です。むしろ子会社からの配当金を親会社の付加価値に含めてしまうと、付加価値を親会社と子会社の両方に、すなわち二重に計上してしまうことになります。

 (賃金以外の総合的な処遇改善)
*経労委報告では、
・近年、多くの企業では、働き手のエンゲージメント向上のため、テレワークなど多様で柔軟な働き方の推進、仕事と育児・介護等の両立支援策の導入・拡充、人材育成・自己啓発支援策の充実など、賃金引上げ以外の総合的な処遇改善への取組みに労使で注力している。わが国企業における労働者への分配状況を論じる際には、その方法が多様化していることにも留意する必要がある。
と指摘しています。しかしながら、人件費の内訳(構成比)を見ると、現金給与の占める割合はほぼ横ばいで、法定福利費が上昇、法定外福利費は低下傾向にあり、少なくとも総額人件費管理の観点から金銭的に評価すると、「賃上げ以外の総合的な処遇改善」が進んでいるとは言い難い状況にあります。

 (内部留保)
*経労委報告では、「企業は必要以上に現金・預金を貯め込んでいる」との指摘に対して、
・企業がリスクに備えつつ、安定的に運営を行っていく上で、一定水準の内部留保や手元資金の保有は不可欠である。これは、企業にとって大事なステークホルダーである社員の雇用維持・安定にも資するものである。同時に、将来への投資の原資となる内部留保は極めて重要である。
と反論しています。しかしながら、一方で、
賃金引上げや総合的な処遇改善・人材育成などの「人への投資」を強化し、「成長と分配の好循環」「サステイナブルな資本主義」の実現への貢献が求められる。持続的な成長に向け、内部留保の活用のあり方について一層議論を深めるとともに、ステークホルダーの理解を図っていくことが求められる。
としているのは、きわめて重要な指摘であり、ステークホルダーである株主への理解促進も含め、企業にはその具体化が求められるところです。

5.円滑な労働移動とジョブ型雇用について

(円滑な労働移動とジョブ型雇用)
*経労委報告では、岸田内閣も掲げる「円滑な労働移動」とジョブ型雇用を主張しています。ジョブ型雇用では、職務給を導入することになりますが、職務給については、
・職種を超えた異動が困難。企業組織の変更への対応が困難。組織が硬直的になる。
・環境変化が激しい場合、常に職務の設計や職務記述書の見直しを行わなければならず、職務改廃のコストが大きい。
・仕事の範囲が縦割。職務範囲を超えて柔軟に業務を遂行し、能力開発する機会が制約される。
などの問題点が指摘されています。100年に一度と言われる大変革に職務給で対応できるのかどうかはきわめて疑問です。米国においても、脱職務主義、職能給化が進んでいるとの指摘があります。(石田光男・樋口純平(2009年)『人事制度の日米比較』ミネルヴァ書房)
 
*職務給では、職種ごとの社会的な賃金水準を形成しやすく、「円滑な労働移動にも資する制度」(経労委報告)ということになりますが、長期的な生産年齢人口の減少が続く中で、人手不足が顕著となり、人材の囲い込みこそが重要となっている中で、企業は、
①働き手の「エンゲージメント」を高め、
②従業員の継続的な能力形成、能力発揮を促進し、
③組織として変化に対応できる、かつ、変化に対する従業員の柔軟で積極的な対応を促す。
そうした雇用システム、賃金制度を採用する必要
があります。すでに労働移動が活発化している職種では、職務給の導入が進むとしても、多くの従業員に対して職務給を採用することが個別企業の利益になるのかどうかは、慎重に判断すべきです。
 
*職務給への移行が一般化すると、職務やポストが不要となった従業員を解雇できるようにすべき、との主張が納得感を得られやすくなり、整理解雇の四要件などの解雇規制の緩和につながることが懸念されます。解雇が容易になれば、企業として賃上げを行いやすくなるという主張もありますが、一方で、労使交渉における労働者の立場がさらに弱体化する可能性もあります。
 
*なお経労委報告では、
・日本では、雇用の流動性の低さなどを背景に、企業間の資源配分が効率的に行われていないとの指摘もある。
として、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ「わが国の生産性動向」を紹介していますが、同ペーパーでは同時に、「労働移動が活発化すると、人的資本の蓄積が進まない」、「人的資本の蓄積が進まないと、生産性上昇率が低下する」との見方も示しています。イノベーションを担うのは成長産業・分野の新興企業だけではなく、従来からの産業・企業でもイノベーション、産業構造の変革を進めているわけですから、

成長産業・分野における人手不足
従来からの産業・企業におけるイノベーション人材の不足
  ↓
賃金水準の上昇
リカレント教育の拡大
  ↓
労働移動の活発化

というのが望ましい経路と言えます。「円滑な労働移動の促進」が、成長産業・分野やイノベーション人材の賃金引き上げをかえって抑制することのないようにする必要があります。

(エンゲージメント) 
*経団連では働き手の「エンゲージメント」について、
・働き手にとって組織目標の達成と自らの成長の方向性が一致し、『働きがい』や『働きやすさ』を感じられる職場環境の中で、組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢を表す概念。
として整理しています。エンゲージメントの定義はさまざまですが、従業員エンゲージメントに関する膨大な調査を行っている米国・ギャラップ社の定義などと比べ、経団連の整理は限定的であるように見受けられます。経営学では、「仕事に対するポジティブで充実した心理状態」をワーク・エンゲージメントとして定義しています。
 
*米国の主要な調査機関であるADPリサーチ・インスティテュートが2018年に19カ国、19,346人の勤労者に対して行った調査では、
・エンゲージメントと生産性において個人差が生じる最も強力な要素は、回答者が「業務の大部分をチームで行っている」と回答したかどうかである。職場での生の体験、つまりは一緒に仕事をする同僚と、同僚とのやり取りが何物にも勝る力を持っている。
・自分がチームの一員であるという感覚を抱くのには、企業文化に同調する必要もなければ、特殊な研修コースや能力開発プログラムに参加する必要もない。チームのリーダーやメンバーの姿が毎日見られるか、彼らが話しかけてくれるか、身を乗り出してサポートしてくれるかどうか、などにかかっている。
・チームとは、組織図上に記載されている指揮命令系統では説明できないものである。業績はたいてい、組織図で記載されたボックスの外、実際の職場で機動的かつ偶発的、短期的に動く非公式で流動的なチームで発生している。
という分析が行われています(マーカス・バッキンガム、アシュリー・グッドール「組織図には表れないチームの力が従業員エンゲージメントを高める」『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』2019年11月号)。職務給を中心としたジョブ型雇用システムが、働き手のエンゲージメントの向上とはなじまないものであることは明らかと思われます。 

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